賞金首

辺り一面に広がるのは、雪。森林地帯を越えた先に広がる白銀に彩られた世界を、えくれあ達は黙々と歩いていく。

「寒いよぉ…」
「……。」
「……。」
「……さむ、」
「姉さん、次に言ったら怒りますよ。」
「どうしてぇっ!?」
「…まぁ、寒いのは皆同じですから…僕にしたところで、この気候はいただけませんね…。」

フェデルタが目を細めながら諭すと、エーテルはがっくりと項垂れる。白銀の化粧が映える大地に、エーテルの涙やら鼻水やらがポトポトと道標のごとく跡を残していった。

「はぁ…姉さん、ちり紙くらい常備しておいて下さい…身だしなみですよ?」
「うぅ~だって~…」

えくれあに渡されたちり紙を手に取ると、エーテルはそれでごしごしと顔を拭き始める。

「それにしても、随分厳しい気候ですね…」
「僕も昔来て以来久しいですが、このレージアス地方はいつも寒いですね。」
「うぅ……あとどれくらいで着くのかなー……」
「…ご安心を。恐らくもう1時間と掛からないと思いますよ。」
「ふぇ、良かったー…」

エーテルが鼻をすすりながら安堵の声を漏らす。それっきり、3人は声を発すること無く歩き続けた。しんしんと雪が舞う中、3人が雪を踏み締める音だけが響き渡る。

「ん……姉さん、どうやら着いたみたいですよ。」

えくれあの声に、エーテルとフェデルタも顔を上げた。遠くの方に、ぼんやりといくつかの建物の輪郭が見える。

「なんだか不思議な形の建物…だねっ?」
「ここは雪が多い地域ですからね。ああして狭く高い建物を作り、屋根を急にすることで崩落を防いでいるのですよ。」
「へぇ~、さっすがフェーくん物知りだねぇっ!」
「…見れば分かりそうなものですが。ともかく、バレストアに着いたら情報をできるだけ多く仕入れましょう…別行動で構いませんか?」

すっかりお馴染みとなった呆れ顔で、えくれあが問い掛ける。

「僕は構いませんが…えくれあさんとエーテルさんは一緒に行動された方が良いのでは?」
「うんっ、わたしもえくれあちゃんと一緒がいいなっ!!」
「えぇ…まぁ、そうですね…では、二手に分かれて行動しましょう。」

そうこうしている内に、複雑な表情を隠せないえくれあと、それを見て苦笑を浮かべるフェデルタ、そして鼻の下を僅かに凍らせたエーテルの3人は、レージアス地方の首都『バレストア』の入口に辿り着いたのだった。



数時間後、えくれあ達は『バレストア』の外れにある小さな喫茶店に腰を落ち着けて、温かいお茶を啜っていた。

「では、合流して早々ですが早速情報を整理していきましょう。」
「そうですね、えくれあさん達の方でわかった事はありましたか?」

フェデルタの問いにえくれあが答えるより早く、エーテルが口を開いた。

「もうどこもかしこも魔族のスパイのお話で持ち切りだよっ!!魔族の姉妹を見付けたら殺せーっ!!ってみんなが言ってるんだよ~」
「…賞金稼ぎである私達が賞金首になるとは、いささか笑えない冗談ですがね。ただ、『魔族の姉妹』というだけで顔は割れていないようなので、すぐに追われる事は無いと思いますが……」

えくれあはエーテルの口を押さえつつ、声を潜めた。

「…フェデルタさんの方はどうでしたか?」
「僕も街で得た情報としては似たようなものです。恐らく、今後は慎重な旅となりそうですね……」
「そうですか……で、街で得た情報、という事は別の情報源でもあったのですか?」

フェデルタは一瞬目を見開くと、微笑を浮かべて再び口を開く。

「流石はえくれあさんですね……では先にお聞きします。えくれあさんは今後何を目的に動くおつもりですか?」
「何って…言うまでもありません。魔王エルディアを倒し、行方知らずの母を……」
「…えくれあさん、お2人のご両親はどちらにいらっしゃるとお考えですか?」

フェデルタの再三の問いに、えくれあは遂に痺れを切らして声を大きくした。

「それが分からないから探すのでしょう?フェデルタさんは、何が言いたいのですか?」
「え、えくれあちゃん怒っちゃダメだよ~…フェーくんもほら、もっとわかりやすくお話してくれると嬉しいなって…ねっ?」

テーブルに一触即発の空気が漂う。流石のエーテルも空気を察したのか、慌てたように場を取り繕い始めた。

「…少し意地悪な質問をしてしまいましたね、すみません。ですが、魔王を倒すにしろ、母君を探すにしろ、今の僕達は余りに無力です。」

フェデルタが叩き付けた言葉に、えくれあとエーテルも言葉に詰まって俯いてしまう。

「…ですから、僕達が今すべきなのは力を付けること……魔王にさえ打ち勝つ、その力を付けなければ、目的を達成することは叶わないでしょう。」
「何か、策でもあるのですか。」

えくれあは、テーブルの下で拳を握り締めながら声を絞り出した。

「…以前にも、僕はこの地を訪れた事がある…そう言いましたね。実は、このレージアス地方に魔族の間で聖地として崇められている魔窟があるのですよ。」
「ま、くつ……っ?」

エーテルはきょとんとした表情で首を傾げている。

「そんな物が、このハイリヒトゥームに残っているのですか?」
「えぇ、かつて人間と魔族が共存していた時代には人間からも崇められる場所だったそうです……人間の歴史からは忘れ去られ、今は文献にも殆ど名が残っていないようですが。」
「そこに、何か強い武器でもあるのっ?」
「武器はありませんよ。魔族は成人を認められる儀式として、その魔窟に赴くのです。そして、そこで魔族にふさわしい力を持つか試され…認められれば、魔窟の守護者から力を授かることができるのです。」
「…あなたも、かつてそこで力を授かったのですね?」

えくれあは神妙な顔でフェデルタに詰め寄った。エーテルは話に付いていけず思考停止したのか、その隣で目をぱちくりさせながらフェデルタを見つめている。

「…どのような力を授かるかは人によって異なるのですよ。中には試練に耐えられず命を落とす者や、試練を乗り越えたとしても力を持つに値しないと判断される者もいます……ですが、お2人は魔王の血を持つお方です。恐らくは……。」
「…その魔窟は、どこにあるのですか?」
「えくれあちゃん、行くのっ!?」

えくれあが静かに立ち上がると、エーテルもびっくりしたように跳び上がった。

「今の私達には、手掛かりも、力も、何一つ足りません…。ですが、もしその魔窟とやらに行き、試練を乗り越える事で力を手にすることができるのなら…試す価値はあるかと、そう思ったんです。」
「道案内はお任せ下さい。ここから更に北に行った所なので、寒さには一層気を付けなければなりませんね。」

フェデルタもゆっくりと席を立ったその時、エーテルが突如えくれあに飛び付いた。背後から不意打ちで、しかも自分よりも頭1つ分以上も背の高い姉に抱き付かれたえくれあは、たまらずよろけてそのままエーテルと共に喫茶店の床に倒れ込んだ。数少ない周囲の客も、何事かと一行の方を振り向いている。

「姉さん、いきなり何を……っ!?」
「っぐ……ひぐっ……」

えくれあはエーテルの顔を見た途端、目を見開いて固まってしまった。エーテルはえくれあの胸に顔をうずめて、大粒の涙をその目に光らせていたのだ。

「えくれあちゃん…ずっとえくれあちゃんのままだよね…っ?」
「えっ…?」
「もし強くなっちゃっても…魔王に負けないくらい強くなっちゃっても、えくれあちゃんはわたしの事忘れちゃったり、変わっちゃったりしないよね…っ!?」
「姉さん……」

人目を憚らずに泣きじゃくる姉の頭を、えくれあはそっと撫でた。

「…大丈夫ですよ、姉さん。例えこの先何があったとしても……私は私ですから。心配しなくても、私はずっと姉さんと一緒です。」
「ほんとに……?」
「えぇ、本当です……この剣に、誓います。だから、もう泣くのはやめて下さい。」

えくれあは一度右手を背中の剣に掛けてから、にっこりとエーテルに微笑みかけた。それを見たエーテルは、さらに表情を歪めて泣きじゃくるのだった。

「あぐっ…えぐれあぢゃああああああん!!!」
「とても微笑ましいものを見せていただきましたが…周りの皆さんのご迷惑になってしまいますし、そろそろ出るとしましょうか。」

フェデルタはにこにこしながらえくれあ達に手を差し伸べた。2人は顔を真っ赤にしながら立ち上がり、そそくさと喫茶店の出入口へと歩いていく。店から出る間際、ふと何の気無しに振り向いたえくれあは、僅かな違和感に襲われた。

「………?」

えくれあは初め、自分が感じた違和感の正体に気付けずにいた。仕方なく気の所為と思い込もうとしたが、どうにも腑に落ちないえくれあは思考をフル回転させる。しかし、その思考は間もなく遮られる事となった。

「えくれあちゃんっ!!早く行こうよーっ!!」
「あっ、は、はい……。」

顔をまだ紅潮させているエーテルに押し出されるように、えくれあは喫茶店を後にしたのだった。





店を出たえくれあは、やはり先の違和感が気になるらしく、道端で立ち止まって考え込み始めた。

「………。」
「…?どうしました?」
「いえ、さっき喫茶店を出る時に妙な違和感を感じたんです…」
「違和感っ?」

エーテルとフェデルタも、えくれあに付き合う形で立ち止まった。

「えぇ…あれは多分、他の利用客の視線だと思うんですが……」
「それは…あれだけの大立ち回りをしたのですから、仕方ないのではありませんか?」
「フェーくん、その話はもうおしまいだよーっ!?」

エーテルがフェデルタの口を塞ごうと慌てふためいていると、道の反対側で悲鳴が上がった。

「きゃあああああああああッ!!!!」
「何だこいつ、通り魔……!?」

えくれあ達が咄嗟に振り向く。そこには、既に物言わぬ肉塊となった貴婦人と、返り血を全身に浴びながら不気味に笑う男が立っていた。

「金……カネダァ………グヘヘ……」

貴婦人だった「それ」の持ち物に手を掛けようとした通り魔に、えくれあは猛然と駆け寄った。

「えくれあさん!?…仕方ありません、応戦しますよ!!」
「えぇっ!?あっ、うんっ!!」

えくれあは背中の剣の1本に手を掛ける。右手に握った《ミスリルブレード》を、彼女は躊躇いなく通り魔の男に振り下ろした。

「ギャアアアアアアッ!?ダレダ…ジャマヲスルノハ……!?」
「この男……様子が変ですね……!!」
「シネエエエエエエエエエエッ!!!!」

背中に割れんばかりの大きな傷を負ったその男は、意に介する様子も見せずにえくれあに向けて両手を振り上げた。

「ちっ…!!」

思いのほか素早く繰り出された拳に、一瞬反応が遅れたえくれあは、やむなく剣身を目の前に構えて防御姿勢を取る。しかし、その剣身に振り下ろされるより早く、男の拳は2発の銃弾を浴びて跡形も無く砕け散った。

「ふん……えくれあさん、ご無事ですか。」
「えぇ、助かりました…」

2人が男に向き直ると、やはり男は吹き飛ばされた両手など気にも留めず、まさにこちらへ突進を仕掛けようと身構えていたところだった。

「そおれっ!!」
「ギャアアアアアアアアアアアアッ!!」

背後から、エーテルの放った矢が風を裂くように突き進み、男の膝に突き刺さった。男は堪らず体勢を崩してその場に倒れ込むが、それでも尚敵対するえくれあ達の方へズルズルと這いずって来る。

「あなた、どうしてそんな事するのっ!?」
「グググググ……」
「…フェデルタさん、これは……?」

えくれあの問いに、フェデルタは首を横に振る。

「…これは、僕にも訳が分かりませんね。しかし、この姿は……」

改めて、フェデルタは間近で男の姿を凝視した。頬がこけ、肌は蒼白し、血走った目からは流血も見られる。両手と右膝を砕かれてなお動き続けるその姿は、まるで。

「魔族…いや、魔物のような風貌ですね。このような事例は、僕も聞いた事がありません。」
「そうですか……しかし、この男が人間であれ、別の何かであれ、この姿は余りにも不憫ですね……」

えくれあはゆっくりと男に歩み寄っていく。そして、右手の《ミスリルブレード》を、男の首めがけて真っ直ぐに振り下ろした。

「あっ………」
「御免……。」

エーテルの小さな叫び声と同時に、白銀の刃は男の首を胴体から切り離し、その首は小さく跳ねて道路を転がった。

「もう少し気付くのが早ければ、救えたでしょうか……」

えくれあは剣を背中の鞘に収めると、今度は惨殺された貴婦人の死体の前で屈み、両手を合わせた。

「…こいつだ………!!」
「え……?」

その時、隣に居た通行人の言葉を耳にしたえくれあが顔を上げた。彼女が目にしたのは、恐怖に慄き顔を引き攣らせた男の表情だった。

「ま、魔族のスパイ……間違いない…小さい方が、剣使い……!!」
「さ、さっきあっちの女は弓を使ったわ!!手配書の通りよッ!!」

別の通行人の女は、便乗したようにエーテルを指差して叫んでいる。

「じゃあ一緒にいるあのガキは何だ!?魔族のスパイは2人組の姉妹なんだろ!?」
「知るかよ!?でもあんな化け物倒しちまうし、使った武器もぴったりだ!!みんな、賞金首だあああああああああッ!!」

野次馬の1人が叫ぶと、いよいよえくれあ達の周りには大きな人だかりが出来始めた。

「なっ…これは…!?」
「やむを得ない状況とはいえ、迂闊でしたね…使う武器の特徴は押さえられていましたか……」
「どどど、どうしようっ!?」

民衆は徐々に取り囲む輪を狭め、えくれあ達を追い込んだ。

「で、でも…賞金首なんかに、俺達が勝てるのかよ…!?」
「さっきだって、あの通り魔を何の躊躇いも無く……!!」
「怯むんじゃねぇッ!!こいつらに掛かってる賞金は見ただろッ!?こいつら殺せば、山分けしたって家族に飯を食わせられる…みんなで掛かりゃ怖くねえよッ!!」

怯える者達をいきり立たせるように、中心となった男が声を上げた。

「仕方ありませんね…。」
「フェデルタさん……?」

フェデルタは一歩前に出て、声の大きい男をじっと見据えた。無言で、ただ見つめる。すると、男は突如意識を失ってバタリとその場に倒れた。

「え…!?何!?何なの!?」
「黙れ、愚かな人間共。同じ目に遭いたい者だけが、その陳腐な口を開くがいい。」
「っ……」

フェデルタは普段より数段低い声で、取り囲んだ民衆達に言い放った。その静かな威圧感に、背後のえくれあとエーテルさえ圧倒されていた。

「我らは貴様ら下賤な人間如きに構っている暇は無い…」
「こ、こいつ…ふざけないでッ!!」
「黙れと言ったはずだが……?」

フェデルタは、今度は叫んだ女を睨み付けた。その女もまた、先程の男と同じように瞬く間に昏倒してしまう。

「ひぃっ……!?」
「愚かな奴らだ、邪魔立てしなければもう少しその無意味な生を長らえることも出来ただろうに……さぁ、お前達はどうする…?」

フェデルタは倒れた女を見下ろしてから、再び顔を上げた。民衆達は、目の前に「現れた」怪物と目を合わせぬよう俯き、怖気付いた様子でじわじわと後退していく。

「ふん……。」

フェデルタは冷めた目で民衆を睨みながら鼻を鳴らすと、ゆったりと人の群れを割って歩き始めた。

「フェーくん………」
「と、とにかく付いていきましょう…今がチャンスです。」

えくれあとエーテルも慌ててフェデルタの後を追い、3人はバレストアの境に来るまで一言さえ発すること無く歩き続けたのだった。



街を出て、景色が再び銀世界に移り変わった頃、フェデルタは不意に足を止めて膝に手を付いた。

「フェーくん…?顔色悪いよ……?」
「すみません、『アレ』は少々燃費が悪いものでして……」
「さっきの民間人を殺したカラクリ…あれが魔族の力、というものですか。」

えくれあは、怒りと不安が入り混じった複雑な表情でフェデルタに問い掛ける。

「いえ、加減はしたのであの2人は死んでいませんよ。ただ暫くの間眠ってもらうことにしただけです。」
「えっ?でもさっきフェーくん…」
「あぁ、さっきの口上はハッタリです。あれくらい言わないと、どいてくれなさそうでしたからね…。」

顔面蒼白のまま苦笑するフェデルタを、エーテルはぽかんと口を空けて見つめている。

「…なるほど。」
「なるほど、と仰いますと?」
「あなた、前にもその力を使いましたね。初めて会ったあの日、盗賊のアジトで。」
「…そんな事もありましたね。懐かしい者です。」

昔話をするかのように微笑むフェデルタに、えくれあは大きな溜息を付いて肩を落とした。

「あれだけの盗賊を一瞬で殺すなど人間業では無いと思っていましたが……あの時疑った私の目は節穴では無かったのですね……」
「…ともかく、これで私達の素性ははっきりとバレてしまった事になりますね……恐らく喫茶店で感じた違和感も、視線に疑いの意が含まれていたからなのでしょう……慎重に旅をするはずが、前途多難ですね。」
「確かに、アレは少々目立ちましたね。」
「うぅ、わたし心配だよー……」
「ですが…もう後には引けません。僕達は、やるしかないんですから。」

疲労で覚束ない足取りのフェデルタだったが、言葉にはまだ力が篭っていた。

「…そうですね、まずはその魔窟とやらに向かいましょう。力も情報も無い以上、先のことを考えるより、まずは地に足を付けていくしかありませんからね。」

歩き続けた3人の目から『バレストア』の街が見えなくなった頃には、大地を包む白銀の雪も陽の光と別れを告げ、徐々に暗闇に飲まれつつあった。その闇の奥、北にあるという魔族達の聖地を目指して、えくれあ達は歩き続けるのだった…。