アークスシップ『フェオ』に設置されたメディカルセンター。その入院用病棟の一室のベッドに、2人のアークスが横たわっていた。
「…ぐっすりですね。まぁ無理もありませんが。」
その声を発したのは、少年。全身の青のパーツと、同色の髪の毛が目立つその少年は、眠っているアークスの片割れ、金髪の女性の枕元に置いてある飲料の容器に何かを入れた。
「貴方、そこで何をしているの!?」
扉の開く音と共に見回りの女医のがカツカツと足音を立てながら近寄ってくる。明らかに少年を警戒している素振りである。
「…僕は彼女達をここへ連れてきた者です。目が覚めた時に説明が必要だろうと様子を見に来たのですが。」
「…そう、ならいいわ。重症を負っている患者さん達だから、そっとしておいてあげてね。」
「はい、承知しました。」
少年の受け答えにひとまず納得した女医は、そのまま退室して見回りを続けに行った。少年はつまらなさそうな表情を浮かべて、再び2人の病人へと向き直る。
「…さぁ、これから忙しくなりそうです……。」
それから数時間経った頃。眠っていたもう1人のアークスの少女が目を覚ました。銀髪を少し短めに切り、蒼と紅のオッドアイを眠そうにこすったその少女はぼんやりとした頭を叩き起こすように首を振った。
「ん…ここは……私は何を……?」
枕元にあった眼鏡を見つけてすぐさま装着する少女。ぼやけた視界がはっきりしていくと、隣のベッドで眠っている姉の姿が見える。
「姉さん……。」
「お目覚めですか、えくれあお嬢様。」
「!?」
えくれあは突然の声に驚いて飛び上がった。見ると、姉のエーテルのベッドの側には、見覚えのないキャストの少年が立っていた。
「…何者です?」
「……流石にえくれあお嬢様は覚えておいでではないですか、仕方ありませんね。」
「質問に答えなさい…そこで何をしているのですか。」
「ふふ、エーテルお嬢様を思う気持ちはわかりますが、流石に今は動けないでしょう?」
「くっ…。」
えくれあは歯軋りをして少年を睨みつける。ちらりと部屋の隅に目をやると、壁に立てかけられた愛剣《ブランノワール》が見える。目の前の少年の背後にあるため、取りに行くには難しそうだ。
「んっ、ふわぁ~…」
「姉さん…!?」
「おや、エーテルお嬢様もお目覚めになりましたか。」
えくれあがあわや素手で飛びかかろうかといったところで、隣のベッドで寝ていたエーテルがようやく身体を起こして大あくびを始めた。最初は目もろくに開いていなかったが、自分の隣に立つ少年を見た途端、えくれあとは別の意味で驚きの表情を浮かべた。
「だれぇ~……って、ま、まさか…フェーくんっ!?」
「フェー…くん……?誰です…?」
「エーテルお嬢様は覚えていてくださったのですね、あの頃はお嬢様もまだ4歳程だったかと思いますが。」
「えっへへ~そうだねぇ~っ!あっ、えくれあちゃん!この子はフェーくんだよっ!!」
「だから、その彼が何者か訊いているのですが…。」
えくれあが困惑していると、少年は自ら名乗り出た。
「僕はフェデルタ…と申します。かつて、お嬢様方のお世話をさせてもらっていたのですよ。」
「お世話…?」
「うーんとねっ!フェーくんはうちのひつじっ…じゃなかった、執事さんをやってくれてたんだよ!!」
「私達の家に、執事が……!?」
「旦那様…お2人のお父様の命で、かつて執事の真似事をさせていただいておりました。今はお暇を頂いていますが。」
フェデルタの説明に未だ疑問を抱きながらも、えくれあはひとまず矛を収めた。
「それで…その元執事の方が何のご用で…?」
「偶然通りかかったら、砂漠でお嬢様方が倒れていたものですから。勝手ながら救助させていただきました。」
「…!!」
フェデルタの言葉で、えくれあは意識を失う前に何が起こったのかを思い出した。グワナーダと遭遇したこと、慢心して不意を付かれたこと、そして……。
「姉さん!!」
「ふわぁっ!?ど、どしたのえくれあちゃんっ!?」
「身体は!!身体は大丈夫なんですか!?」
「えくれあお嬢様、そんなに揺らしてはそっちの方が危険ですよ。」
「あっ……。」
フェデルタに窘められ、えくれあはエーテルの肩を揺らす手をゆっくりと下ろした。
「それにしても、誰がグワナーダを倒してくれたんだろうねっ?」
「僕が来た時には、もう既に絶命していたようですが…。」
「私…かもしれません。」
えくれあは暗い表情で続けた。
「姉さんが、その…グワナーダに、殺されてしまったと思って……そう思ったら、頭の中が真っ赤になって、何も考えられなくなって……次第に、ただ目の前の敵を殺したいって…そんな風に思っていた、気がします……。」
「えくれあちゃん……。」
「……それでしたら。」
心配そうにえくれあを覗き込むエーテルの横で、フェデルタは何かを思い付いたように口を開いた。
「旦那様に会ってみてはいかがでしょう。お2人の生みの親です、何か知っているかもしれません。」
「ち、父上に会うのですか…?」
「お父さんか~っ、でも居場所知らないよっ?」
「そこはご心配なく。実は僕も旦那様を探していて、居場所は掴んであります……ウォパルの浮上施設に、今は向かっているようです。」
「浮上施設に…?あそこに何が…?」
「そこまでは存じ上げませんが…。」
「でも、他にどうしたらいいかわかんないよねぇ~……」
3人はしばしの間沈黙していた。数分後に静寂を破ったのは、えくれあだった。
「……行ってみましょう。」
「ほんとにっ?」
「良いのですか、えくれあお嬢様。」
「他に手がかりもありませんし…それに……」
「それに……っ?」
「…私、もっと強くならなきゃいけないって…そう思うんです。もう、姉さんをあんな目に……っ!」
目から溢れる涙を抑え切れず、嗚咽を漏らすえくれあ。そんな彼女をそっと抱きしめるエーテルを見て、フェデルタは静かに背中を向けた。
「では、明日の午後に出発しましょう。恐らく、今日中に退院の許可も下りるでしょうから。明日、ロビーでお待ちしています。」
それだけ言い残して部屋を立ち去るフェデルタ。病室には、己の無力さを憂う少女と、心優しき姉だけが残っていた。
翌日の午後。えくれあとエーテル、そしてフェデルタは、惑星ウォパルの浮上施設に赴いていた。
「うわっ、何か変なエネミーがいっぱいいるねぇっ!!」
「人型の海王種ですか…。」
「お2人のリハビリには丁度いいでしょう…来ますよ。」
フェデルタは腰の双機銃に手を掛けたまま身構えた。えくれあは《ブランノワール》を構えたが、隣の姉が見慣れない武器を構える姿に目を見張った。
「姉さん……?」
「えっへへ~、実は今朝フェーくんに紹介してもらったんだっ!これなら敵に近づかなくても戦えるってね…っ!!」
エーテルはそう叫ぶと、手に持った《ラムダビッグボウVer2》を引き絞った。そして次の瞬間、フォトンを纏った貫通矢《ペネトレイトアロウ》が放たれ、海王種達の群れを薙ぎ払った。
「ほう…エーテルお嬢様は弓の扱いがお上手ですね。」
「えっへへ~、普通の学生だった時にちょっとだけ弓道やってたからねっ!!」
「…私も負けていられません。」
えくれあも愛剣を振りかざして残ったエネミーの群れの中に躍り出る。えくれあは迎撃の隙を与えずに《ディスパースシュライク》で海王種達を殲滅した。
「もう身体は万全ですか?」
「ええ、私は大丈夫です。それより……。」
「わたしも大丈夫だよっ!心配ありがとっ!!」
「さぁ、それでは旦那様を探しに行きましょう。その様子だと僕とお2人で手分けして探したほうが良さそうですが。」
フェデルタの提案に2人も異議無しと首を縦に振った。そして、3人は二手に分かれて捜索を開始したのだった。
数十分後、えくれあとエーテルは行き止まりになった広場のような場所に辿り着いた。
「ここは…。」
「お父さん、いなさそうかな…っ?」
「どう見てもいませんね……引き返しましょう。」
2人が踵を返したその時、背後から激しい水飛沫の音が聞こえてきた。
「海王種…っ!?」
「ネプト・キャサドーラにレオ・マドゥラードですか…大方ここらの主といったところでしょうが……。」
えくれあは険しい表情で背中の飛翔剣を抜き出した。
「2人で勝てるかな…っ?」
「やるしかありません……行きます…!!」
えくれあがさらに姿勢を低くした瞬間、《ネプト・キャサドーラ》は手に持った槍を振りかざして襲いかかった。
「ちっ……。」
えくれあは舌打ちを打ちながら《ネプト・キャサドーラ》の一撃を躱していく。その着地の隙を突いて、今度は《レオ・マドゥラード》がえくれあ目掛けて突進を仕掛けた。
「させないよっ!!」
エーテルは叫びながら《ペネトレイトアロウ》を放つ。貫通矢は《レオマドゥラード》の足元に突き刺さり地面を抉る。そこに足を取られた《レオマドゥラード》はそのまま前に転がりながら倒れ込んだ。
「チャンスです……!!」
えくれあは《レオ・マドゥラード》の動きを見た瞬間、鬼気迫る表情で距離を詰める。そこから直ぐに《ヘブンリーカイト》で斬り上げて、大きく空中に飛び上がった。そして彼女の最も得意な《ケストレルランページ零式》で《レオマドゥラード》にとどめを刺そうとした、その時だった。
「うわっ!?」
「えくれあちゃんっ!?」
「しまった……油………!?」
えくれあは《レオマドゥラード》に油のような物をかけられ、思わず怯んで動きを止めた。しかし、それが運の尽きと言わんばかりに《ネプト・キャサドーラ》も動き出す。なんと懐から焼夷弾を取り出し、えくれあ目掛けて投げ付けた。
「あっ……」
一度止まった足は簡単には動かず、棒立ち状態で油まみれのえくれあに炎の槍が襲い掛かる。
「えくれあちゃあああああああああんっ!!!!!!!」
エーテルは絶叫しながら、えくれあに襲い掛かる焼夷弾を打ち砕こうと《ペネトレイトアロウ》を放つ。しかし願いは虚しく、矢は砲弾のわずか横をすり抜けていく。そして、激しい爆発音。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
エーテルの、更なる絶叫が木霊する。えくれあは焼夷弾と油によって激しく燃え上がりながら、何とか火を消そうとのたうち回る。
「だめえええええええ!!!!!!」
エーテルは滅茶苦茶に《ビビッド・ハート》を振り回しながら《レスタ》と《アンティ》を手当たり次第にえくれあに放っていく。漸く消化して、えくれあがのたうち回るのをやめた頃には、その小さな身体はピクピクと痙攣していた。
「がっ……かはっ…」
「えくれあちゃんっ!!えくれあちゃんっ!!」
「ぐっ…けほっ…息が…不覚、です……。」
肌と気管を炎で焼かれて苦しそうに呻くえくれあ。エーテルは必死にえくれあに呼び掛けるが、やがて力尽きたのか小さな少女の身体はぴくりとも動かなくなった。
「え…あ……」
ほんの一瞬だけ、辺りは音が世界から消えたかのように静まり返った。そして、その直後。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
世界を切り裂くのではと錯覚するほどの、絶叫。さしもの海王種2体も少し後ずさって距離を取る。
「うわああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
エーテルの右眼が、真紅に染まっていく。その双眼は、先日えくれあが見せたそれと同じように禍々しく光り、全身からは想像を絶するフォトンを放っていた。
「よくもっ!!!!よくもわたしの妹をっ!!!!!!!」
エーテルは激昂しながら再び弓を引き、放つ。《ペネトレイトアロウ》は真っ直ぐに《ネプト・キャサドーラ》の胸元に飛び込んでいくが、その直線的な軌道は容易に読まれ、回避されてしまう。
「避けるな避けるな避けるなっ!!!!!!それなら…あの子と、同じ目にっ!!!!!!!!!!」
時を同じくして、フェデルタは浮上施設の建設物に侵入し、その中のとある研究室に訪れていた。
「やはり、ここにおいででしたか。」
「……誰だ。」
フェデルタは、その薄暗い研究室の奥に居た人物に声を掛ける。その人物は、フェデルタの声に反応すると、操作していた端末の電源を落としてゆっくりと振り向いた。190はあろうかという上背に、白髪と口髭を蓄えたその男は、フェデルタの顔を見つめてしばらく眉をひそめていたが、やがて何かに気付いたように目を見開いた。
「…ほう。お前は…フェデルタか。」
「はい、お久しぶりです……旦那様。」
「やはり…生きていたのか。しかし、その姿は…。」
「気になりますか、僕の『この姿』が。」
「いや…そうではないかと、思っていたのだ。だからこそ、あいつと、お前を、探していたのだ…。」
「旦那様は、どこまで掴んでおられるのですか?」
「…少なくとも、お前の生い立ちと…あいつの……エリアの今の状況は、分かったつもりだ。」
エルディアの回答に、フェデルタの表情は一瞬だけ暗くなる。
「そうですか…。ならば、僕達の目的は同じはずです。」
「そうだな…。ところで、お前は今1人か。」
「いえ、お嬢様方に出会いました。今日は3人でここへ来ました。」
「そうか…。元気にしているのだな。」
「えぇ…尤も、ご自身の変化にも戸惑っておられるようでしたが。」
「何?」
ここで、今度はエルディアの表情が曇った。
「両眼が紅く光って、膨大な量のフォトンを検出しました。それにあの禍々しさはまるで……」
「…私には分からん。一体どういうことだ……。」
考え込む様子のエルディアを、フェデルタはどこか遠くを見つめるような顔で
見つめていた。
「…とにかく、一度お嬢様方と合流しましょう。万が一、という事も無いとは思いますが。」
「そうだな…よし、案内してくれ。」
「承知致しました。」
そう言って2人は研究室を後にする。再び静寂と暗闇を取り戻した部屋の中で、エルディアがただ1つだけ電源を落とし損ねたモニターが光を放つ。そこには、フェデルタによく似た少年と、美しい金髪を靡かせた女性の顔写真が映っていた。
フェデルタ達が研究室を出たのと同じ頃。エーテルは《ペネトレイトアロウ》を難なく躱した《ネプト・キャサドーラ》と《レオ・マドゥラード》に向けて猛突進していた。相対する2体の海王種も正面から突っ込んでいく。エーテルを射程距離に捉えた《レオマドゥラード》が、再び油を吐き出そうとしたその時だった。
「これでもくらええええええええええええええええっ!!!!!!!!」
エーテルは《レオマドゥラード》の動作を見た瞬間急停止し、後方へ大きく宙返りをする。普段の彼女からは考えられない動きだが、なんと彼女はそのまま空中から引き絞った矢を放った。矢は真っ直ぐに《レオ・マドゥラード》に向かって突き進むが、間一髪で躱されて地面に突き刺さった。しかしその瞬間、真紅の双眼がニヤリと笑った。彼女の笑みと同時に矢は大爆発、《レオ・マドゥラード》が口に含んでいた油にも引火して、《レオ・マドゥラード》は慌てて口の油をそこら中に吐き出した。
「それがっ!!!!!えくれあのっ!!!!!!!!!!感じた痛みなんだっ!!!!!!!!!!!!」
普段は到底見られない鬼気迫る表情で、再び爆発矢《シャープボマー零式》を放つ。爆発は撒き散らされた周囲の油にも引火し、難を逃れようとした《ネプト・キャサドーラ》さえも包み込んで激しく燃え上がっていく。2体の海王種が焼き尽くされて灰燼と化した頃、その場へフェデルタとエルディアが合流した。
「お前は…エーテル、なのか…!!」
「エーテルお嬢様!!」
「あっ………」
さっきまで鬼神の如く立ち回っていたエーテル。しかし、ここでフェデルタの姿を捉えて安心したのか、その場でぐったりと地面に倒れ込む。フェデルタがその身体を抱え起こした時には、エーテルの両眼は普段通りのオッドアイに戻っていた。
「フェーくん、わたし……」
「もう、大丈夫ですよ…エーテルお嬢様。」
「わたし…えくれあちゃんの事…守れなかった……!!」
「…心配するなエーテル。えくれあは無事だ。」
目に涙を溜めるエーテルに、エルディアが落ち着いた声で話しかける。
「随分と酷い火傷を負っていた様な痕跡もあるが……殆ど治癒している。」
「だ…れ……?」
「旦那様は、余程家に帰らなかったのですね…エルディア様ですよ、エーテルお嬢様。お嬢様方の、お父上ではありませんか。」
「お…父さん……?そっか、来てくれたんだ……」
「偶然だがな……しかし驚いたぞ、まさか運動が苦手だったお前が、アークスになってここまでやるとはな…。」
「…えくれあちゃんが死んじゃったと思って、悲しくて…とにかく悲しくて。あんまり覚えてないんだけど、頭の中で声がしたんだ……目の前の敵を、殺せ……って。」
「声…ですか。」
「うん……あれ、なんか…眠く…なって、き…た……」
間もなく、エーテルの意識は途絶えて深い眠りに落ちた。
「まさか、エーテルお嬢様までもがこんな事に…。」
「…確かにお前の言うとおり、禍々しいフォトンだった…少し調べる必要があるな。」
「はい。ですがその前に、お嬢様方には治療を受けてもらわなければなりません……そろそろメディカルセンターに怒られそうですが。」
2人は姉妹の謎の異変の正体を探りながらも、まずは治療が先決と結論づけて、えくれあ達のキャンプシップへと彼女達を抱き抱えて運んだ。道中は、常に無言。互いの思考を読み切れない2人の関係と、これから彼らを待ち受けている苦難を暗示するかのように、彼らの周囲には近寄りがたい沈黙が流れていた。その沈黙の中を、彼らは進む。その先に、さらなる苦難と過酷な現実が待ち受けているとは、露知らず……。