えくれあとエーテル

 剣と魔法が支配する世界『ハイリヒトゥーム』。強い者が生き残り、弱い者を統べる時代が訪れて久しい、そんな世界。5つの地方から成る『ハイリヒトゥーム』の中心に存在する中立地域、そのほぼ全ての面積を占める世界最大の戦闘訓練アカデミー『サンシャイン』ではこの日、1万人近い若者が新たな賞金稼ぎ-ハンター-としての門出を迎える卒業式が行われていた。

「姉さん、急いでください…!!」
「待ってよ~、服選ぶのに時間がかかっちゃったんだよ~っ!!」
「知りませんそんなもの、遊びに行く訳じゃないんですよ。」
「だってだって、まさか卒業式なのに制服着ちゃいけないなんて思わないじゃんっ!!」
「卒業式の要項にあったでしょう…卒業というよりは、賞金稼ぎとして出ていくニュアンスの方が強いようですしね。」
「学生気分は終わりってことか~、何か嫌になっちゃうねーっ?」
「…私はこの日を待っていました。一秒でも早くここを…だから姉さん、急ぎましょう。」

そう言った銀髪の少女は隣の金髪の女性をぐんぐん引き離して走っていく。彼女の名はえくれあ、この日『サンシャイン』を発つ卒業生の1人だ。隣で肩で息をしながら必死で付いていく女性はエーテル。えくれあの姉で、彼女もまた、卒業生の1人であった。2人は全力疾走を続け、何とか時間ぎりぎりで卒業式が行われる大闘技場へと滑り込む。

「卒業生の方ですね。お名前は……」
「ちょっとあんた馬鹿じゃないの!?この人は…!!」
「えくれあです。余計な気遣いは結構、出席の手続きを済ませて下さい。」
「は、はいっ!!」

受付を担当していた女子生徒は、隣で同じく受付をしている冴えない男子生徒の頭をはたくのを止め、目を輝かせて手続きを始めた。男子生徒の方も、頭をさすりながらえくれあの隣に居るエーテルに声を掛ける。

「あの、お名前を……。」
「はいっ、エーテルですっ!」
「エーテルさんですね。ではこちらの資料と記念品をどうぞ…。」

エーテルは男子生徒から資料と記念品を受け取ると受付の後輩2人に笑顔を向け、先に会場の奥へと進んでいったえくれあを追いかける。えくれあは既に会場の端の方の席を見繕って腰を下ろしていた。

「いよいよだねっ!」
「ええ、ようやく刺激のない学生生活ともおさらばです。」
「えー、わたしは楽しかったけどなーっ?」
「…姉さんは何もしてなくても楽しそうじゃないですか。」
「えっへへ~、確かにえくれあちゃんを見てるだけでも楽しいけどねっ!」
「……。」

しばらくすると、せわしなく動いていた『サンシャイン』の職員達も所定の位置に付き、いよいよ卒業式が始まる。エーテルはにこにことしながら式の進行を眺めているが、えくれあは我関せずという様子で記念品として受け取った羽ペンを器用にくるくると指先で回している。

「…続いて、卒業証書授与。主席卒業生えくれあ。壇上へ上がりなさい。」
「ほらっ、えくれあちゃんの見せ場だよ!頑張ってねっ!!」
「…紙切れ1枚受け取るだけですよ、煩わしいです……。」

溜息を付きながら立ち上がったえくれあは、ゆっくりと卒業生の席の間を通って壇上へと上がっていく。その周りではひそひそとしたざわめきが波のように起こっては消えた。

「おぉ…あれが主席卒業生様か、クールだねぇ。」
「私達より1つ年下なんでしょう?天才ってヤツなのかしらね。」
「ってか、結構かわいいじゃん、俺タイプかも…」
「やめとけよ、調子乗ってコクって半殺しにされた奴も居るらしいぜ。」
「それにあの留年マスターのバカ姉貴…エーテルだっけ?あいつが面倒くさく絡んでくるらしいぞ…。」
「あの金髪の子だろ?あれはあれで良いよなぁ~」
「お前…まぁ確かにルックスは良い姉妹だけどよぉ…浮いた話、結局一度も聞いたこと無いよなぁ?」

周りから聞こえる低俗な会話によって生まれる苛立ちを何とか表情から押し隠しながら、えくれあは壇上へと上がる。目の前には、校長のリオン・ヴィーリグと担任のトルステン・メルケルスが壇の向こうに立ち、その年で最も番号の若い卒業証書持ってえくれあを待っていた。

「卒業おめでとう、えくれあ。」
「ありがとうございます、メルケルス先生。」
「…君は最後まで相変わらずだな。」
「ええ、先生。私は私ですから。」
「ふっ…まぁいい。校長先生、これを。」
「うむ。えくれあ君、卒業おめでとう。今後の君の活躍が聞こえることを願っているよ。」
「はい、ありがとうございます。」

えくれあは卒業証書を受け取ると深々と一礼して、壇を降りて元いた席へと戻っていく。帰り道でも同級の卒業生は何やらひそひそと話していたが、えくれあが美しく澄んだ紅と碧のオッドアイで睨み付けると、蛇に睨まれた蛙のように震えがって沈黙した。席に戻ると、エーテルが満面の笑みでえくれあを出迎える。

「お疲れ様っ、かっこよかったよーっ!!」
「ありがとうございます。でも煩いから静かにして下さいね。」
「えへへ、ごめんなさ~い。」

その後も式はつつがなく進行し、全ての行程が終了する頃には、陽の光は真上から降り注いでいた。



式が終わると、えくれあはエーテルと共に『サンシャイン』の研究棟へと足を運んでいた。

「トール先生に呼ばれたんだっけーっ?」
「はい、『メルケレス先生』に、ですがね。姉さん、先生方に対してもそんな態度だから、3回も留年したんじゃないですか…?」
「ぶーぶー、いい事言っててもほんとは全然尊敬してないえくれあちゃんに言われたくないも~んっ!」
「…私は私より弱いくせに偉そうな人が嫌いなだけです。特に魔法科学や歴史学の教授ときたら……」
「はいはいストーップだよっ!ほら、もうトール先生の部屋着いちゃったよ?」

2人は足を止めて目の前の扉を見つめる。そしてえくれあが一歩前に進み出て、扉を2回ノックする。しかし、部屋の中からの反応はない。

「お留守…かな?」
「いや、どうせいつもの精神統一ですよ……失礼します。

えくれあは反応を待たずにドアノブを回して扉を開く。整った部屋の中央に置かれたソファでは、トルステンが目を閉じたまま微動だにせず鎮座していた。

「…先生。メルケレス先生。」
「……。」
「……はぁ、こうなっては仕方ありませんね…!!」

えくれあは溜息を付くと、背中に収めた2本の《ブロードソード》のうちの1本を抜き、後方に引き抜くと一気に突き出してトルステンへと突っ込んでいく。片手近接武器用の汎用剣技、《ソニックインサイト》だ。えくれあの剣技が直撃する寸前で、トルステンは双眼を見開いて剣筋を見切り、えくれあの右手首を素手で掴んで受け止めた。

「ふむ……以前の手合わせより速くなったな。」
「ご冗談を、7割程度ですよ。丸腰の相手に全力は気が引けますし、前回は私の一撃が通った事をお忘れですか?」
「ふっ、お前のような意気の良い主席は初めてだよ、えくれあ。」

トルステンがえくれあの手を話すと、えくれあも右手の《ブロードソード》を鞘に収める。すると、突然エーテルが口を挟んだ。
「ねぇトール先生、なんでえくれあちゃんを呼んだのっ?」
「その前にエーテル、お前が何故ここにいる?呼んだのはえくれあだけの筈だが?」
「そりゃあ!えくれあちゃんが行くとこならわたしはどこまでも付いていくよっ!」
「姉さん、お帰り下さい。」
「えーっ、なんでーっ!?」
「当たり前でしょう、部外者はお断りのようですから。」

えくれあから直に退出命令を受け、えくれあと対称となるオッドアイに涙を溜めるエーテル。

「あぁ、もういい面倒だ。別に居ても構わん、所詮はつまらん風習だからな……えくれあ、今日お前を呼んだのは、これを渡すためだ。」

トルステンはそう言うと、机の上に置いてあった風呂敷包みを解く。中から出てきた物は、臙脂色の鞘に収められた2本の片手直剣だった。

「先生、これは……?」
「主席卒業生にのみ寄贈される特別製の武器だ。お前は片手直剣を2本扱うから、俺が学長に掛け合って2本用意させた。ありがたく受け取れ。」
「主席卒業生の……特注武器……。」
「とは言っても、元はお前らが持ってる量産型に手を加えただけだからたかが知れてるがな。まぁそのなまくらよりは使い物になるだろ。」
「はい……ありがとうございます……!!」

えくれあはトルステンに一礼すると、2本の片手直剣《ブロードソード・ノーブル》を持ち上げ、背中の《ブロードソード》と持ち替える。

「おっ、えくれあちゃんかっこいいーっ!!」
「元々持ってたなまくらは邪魔になるだろ?置いていけ。」
「ご厚意痛み入ります。本当に、ありがとうございます。」
「おう。俺の方こそお前みたいな優秀な奴を指導できて楽しかったよ…達者でやれよ。」

えくれあは改めてトルステンに深々と頭を下げる。エーテルもトルステンに敬礼のようなポーズで微笑んだ。

「では…失礼します。本当に、ありがとうございました。」
「じゃあねトール先生、元気でねっ!!」

えくれあとエーテルは扉を開け、トルステンの研究室を出る。師は2人の教え子の後ろ姿を見届けると、やがて再び目を閉じて精神統一に耽っていった。

2人は部屋を出ると、いよいよ『サンシャイン』を出て旅立とうと正門を目指して歩き出した。廊下の曲がり角に達した時、2人は死角となった向こう側から来た何者かと衝突してしまう。

「いったたぁ!?」
「っ…すみません、お怪我はございませんか…って、校長先生…!?」
「おぉ、君達かね!!これは失敬!」

えくれあは慌ててリオンを助け起こす。エーテルも、ぶつけた頭をさすりながら起き上がってえくれあを手伝った。

「すまないね君達、急いでいたものだからつい走ってしまってね。」
「いえ、こちらこそ不注意でした。申し訳ありません。」
「ごめんなさい、校長先生。」

2人は改めてリオンに謝罪する。しかし目の前の校長は、にこにことして気にも留めていない様子だった。

「気にしないでくれたまえ。では、私はこれで。君達も、身体に気をつけて頑張りなさい。」
「はい……!!」
「はーいっ!!」

姉妹は去っていく校長を見送って、改めて正門を目指した。



2人が正門に辿り着くと、そこには卒業生の出立を祝う多くの在校生が集っていた。

「おっ!いよいよ主席のえくれあさんが来たぜっ!!!」
「お姉ちゃんのエーテルさんもいるよ!!」
「俺、あの人がモデルやってた雑誌、まだ大事に持ってんだよなぁ~、一度くらいメシに誘えばよかったぜ!!」

「あ、あはは~、わたし達…人気者になっちゃったかな…?」
「まぁ、良くも悪くも有名人ではありましょうけど。それにしても、暇なんですねこの人達。」

苦笑いするエーテルを先導するように人混みをかき分けていくえくれあ。人の波をかき分け、2人は漸く外の世界へ繋がる正門へと辿り着く。

「…無駄に疲れましたね。」
「しょうがないよね~、っと、そういえばこの後どうするかって決めてたっけ?」
「ええ。まずはこのまま南西のアシュヴィツアル地方を目指して峠を下ります。その先のペルケンス川の傍にあるユピテル村を目指す予定です。」
「峠を下るのか~何だか疲れちゃいそうだね~…。」
「…姉さん、シャイニングはかなり高い場所に設立された学校ですよ、峠を下らないなら空でも飛ぶおつもりですか?」
「うぅ~分かってるよそんな事~………よしっ、じゃあ行こっか!!」

そうして2人は正門を潜り、長年過ごした『シャイニング』から外の世界へと踏み出していく。この瞬間から、彼女達はアカデミー生ではなく、それぞれが1人の賞金稼ぎとして生きていくこととなった。輝きに満ちた姉妹の眼が見据える先にあるものは、希望か、或いは絶望か。その答えはまだ誰も知らない。未知へと広がる2人の姉妹の冒険が今、ゆっくりと幕を開けた。