私の世界

雲ひとつ無い青空に、穏やかな春の陽気。桜舞う坂道を、私は歩く。周りには私と同じ制服を来た高校生たち。私は嫌いだった。東京という街も、今せっせと向かっている高校も、そこに通う生徒達も…そう、何もかもが、私には苦痛だった。

教室に入ってすぐ、私は自席に鞄を置く。席に着いて一息付く間もなく、私の耳に入ってくるのは複数の足音。

「は~いらぶちゃんwはぅあーゆ~?ww」
「……その呼び方、やめてって言ったよね。」
「あれぇ~イギリスでは挨拶ってちゃんと教わらないの~?w髪は銀に染めるわ、カラコン入れるわ、流石優等生様は特別だね~ww」
「…そんなんじゃない。大体、髪は自毛だし、カラコンだって入れてない。」

まだ何か煽ってくる同級生を無視して、私は教科書とノートを机に仕舞う。日本の首都である東京ですら、ハーフは物珍しいのだろうか。私の銀髪と碧眼をからかう人は多かったけれど、高校3年にもなってこの低レベルなからかい方はあんまりじゃないか…。でも、髪と眼だけならまだマシな方だって事を、私は知っている。

「おい、お前ら席に着け。ホームルーム始めるぞ。」

担任教師が教室に入ってくると、私をからかっていた連中も揃って席に戻っていく。教師の前だけいい子ちゃんぶって、バカバカしい。

「じゃあ出欠からだ…江久瀬恋愛。」
「……はい。」

江久瀬恋愛(えくせれあ)、それが私の名前。返事をした途端に教室の何処かからヘラヘラと笑う声が小さく聞こえてくる。イギリス人の父と日本人の母が名付けてくれた私の名前、嫌いになったのは、いつからだっけ…。

「…今日の連絡は以上だ。お前たちも今日から高校3年生…問題などは起こさないように。」

担任教師はホームルームを終えるとそそくさと教室を出て行く。そして退屈で憂鬱な1日が始まった。本当に、本当に無益な時間だ。



現代文、数学Ⅲ、古典、物理Ⅱ、化学Ⅱ、世界史B。1日の授業が終わり、愚痴愚痴と文句を垂れる他の生徒に混じって私も通学路を逆戻り。全く、この人達は何の為に学校に来ているのだろうか。

「お~~い、れあお姉ちゃ~ん!!」
「…友里愛も今帰り?」
「うん!誠司兄ちゃんも一緒です!」
「こんにちは、恋愛先輩。」
「ん、誠司君もお疲れさま。」

私の元にやって来たこの2人は青田友里愛(あおたゆりあ)と兄の誠司(せいじ)。同じ学校の中等部の2年生と3年生で、家もご近所だからよく一緒に帰ることがある。

「れあお姉ちゃん、学校は大丈夫ですか?」
「大丈夫って、何が?」
「先輩がいじめられてるって、友里愛が心配してるんですよ。」

ついに中等部まで噂が広がっているのか…。げんなりした事が2人にバレないように、私は2人の前を歩いて行く。

「別に、大丈夫だよ。」
「本当ですか?わたし、お姉ちゃんが心配で…。」
「本当に大丈夫。第一、昨日今日に始まったことじゃないから。」
「えっ…先輩、それは本当ですか?」
「うん。というか、私と普通に喋ってくれるの、誠司君と友里愛だけだし。」
「そんな…ひどいですね……。」
「大丈夫だよ、2人が仲良くしてくれるから。」

私の背後では、きっと2人が心配そうな表情をしてくれているのだろう…でも、私は大丈夫。だって私には、『アレ』があるから。



2人に別れを告げて、私は自宅の玄関の鍵を開ける。靴を脱いでリビングに向かうと、ソファの上で寝転んでいるその人に、私は声を掛ける。

「…ただいま、姉さん。」
「ん……れあちゃんお帰り~……」
「…また朝帰り?」
「うん~…夜まで撮影して、そこからスタッフさんと飲み会~……」
「……ほんとだらしない。」
「いつも言ってるけど何にもないってば~……」
「はいはい……風邪、引かないようにね。」

寝転びながら喋る姉の光姫(みつき)に、淡々と言い残して自室に入った私は、鞄を床に放り投げてベッドに倒れ込んだ。柔らかいベッドの感触と、同時に襲い来る眠気に何とか抗いながら、枕元に設置したPCと繋がれたゴーグルと電極を身に付ける。

「ふぅ……。」

大きく深呼吸した私は、ゴーグルの起動ボタンを押した。さぁ行こう、『私の世界』に。

「ワールド…コネクト…!!」

私の声を認識して、ゴーグルが起動する。そこに幾つものプログラムコードが表示されて、世界が高速で回転するような違和感に襲われる。やがてその違和感も終わり、私はゆっくりと目を開ける。

「…やっと帰って来られた……!!」

眼前に広がっていたのは、味気ない自室…ではなく、多くの人でごった返す繁華街。服装も高校の制服ではなく、黒を貴重としたジャケットに変化している。視界の左上には、「えくれあ Lv64 7632/7632」という文字列が並んでいた。そう、ここはVRMMORPG『ファイナル・ウォーズ・オンライン(FWO)』の世界。高校1年の時に出会って以来、私が生きてきた『もう一つの世界』、それがここだ。

「おっ、えくれあじゃねえか!今日は早かったな!!」
「あ、お疲れ様です。仕事が早く片付いたものですから。」
「そいつはラッキーだったな!!まっ、俺らニートには分からん話だけどよ!ハッハッハ!!」

突然話しかけてきた男に、私、江久瀬恋愛もといえくれあはにこやかに受け答えをしてみせる。熊のような体躯に豚のような顔立ちのオーク族のその男は、豪快に笑い飛ばすとそのままどこかへ歩き去っていった。

「…誰かいるでしょうか?」

社会人のフリをしてログインしている内に、次第とえくれあの姿の時は敬語を使うことに慣れてしまった私は、自然と呟きながらふらふらと近くの酒場へと入っていく。そして扉を開けた瞬間に、私は自分の選択を大きく後悔することになった。

「おっ、えくれあちゃんだ~っ!!」
「……どうも、エーテルさん。」
「こら~っ、わたしの事はお姉ちゃんって呼んでって言ったでしょ~っ!!」
「知りませんよ…第一、私の姉とは性格からして違い過ぎますし…」

そう言いながら、私は目の前でにこにことしているエーテルを見つめる。長い金髪に170はあろうかという高身長。私とは対照的に日本人要素強めの容姿を持つ光姫との共通点は、せいぜいその身長くらいだろうか。普段からモデルの仕事で家を空けるか、帰ってきても眠ってばかりの姉のイメージが強い私には、どう頼まれてもエーテルを姉として見ることはできなかった。

「そっか~、そんなことよりさっ!!」
「どうかしたんですか?」
「これだよ、これこれっ!」

そう言って、エーテルはとあるビラを私に見せてきた。どうやら新しく実装された大規模クエストの告知らしい。

「伝説の中に消えた7つの宝具を探し出せ……って、なんですかこれ?」
「新しいグランドクエストだよっ!!7つ集めたクリア報酬は、まだ誰にも告知されてないんだけど、きっとすごいのが来るんだってみんな話してるよっ!!」
「そう、ですか……。」

私は左手を口元に当てながら、もう1度ビラを読み返した。けれど、何度読んだ所でそこには告知文以上のヒントは記されていなかった。

「このFWOの世界を、ノーヒントで探し回るんですか…?」
「うんっ!!楽しそうでしょっ!!」
「えぇ……」

この人は何を考えているのだろう、いや、多分何も考えていないんだろうな…そんな事をぼんやりと思っていると、背後から聞き覚えのある声がした。振り返ってみると、中性的な顔立ちを青髪の下に覗かせた少年と、同じく青髪のボブヘアーの少女がそこに立っていた。

「えくれあさん、エーテルさん。こんにちは。」
「おーっ、フェーくんこんにちは~っ!!」
「フェデルタさん、こんにちは…おや、今日はフィリアさんも一緒でしたか。」
「はい!こんにちはえくれあさん!」

背後からやってきたのはフェデルタとフィリア。2人はエーテル同様、このゲームを始めた頃からの私のフレンドで、『蒼銃のフェデルタ』と『蒼剣のフィリア』という二つ名が通った、有力プレイヤーでもある。

「それにしても、相変わらず2人は仲良しだねぇ~っ!!」
「確か、現実ではお2人は兄妹なんでしたっけ?」
「あ~…はい、そんなところです!リアルじゃ喧嘩してばっかりですけど!」
「お前が言うこと聞かないからだろう、フィリア。」
「…ふふふ、今のお2人からは想像も付きませんね。」

そんな雑談をしばらく続けていた私達。すると、エーテルが痺れを切らしたようにさっきのビラを持ち出してきた。

「ねーねーっ、2人はこのクエストの告知見たーっ?」
「ええ、僕達も見ましたよ。」
「お兄ちゃんと一緒に行きたいねって話してたんです!!」
「ほんとーっ!!わたし達もそう思ってたんだーっ!!ねっ!!」

エーテルに満面の笑みで話題を振られた私は、思わず苦笑いを浮かべた。まさか3対1の構図が出来上がるとは…こうなっては仕方がない。

「……分かりました。やれるだけやってみましょう。」
「じゃあ、4人で冒険できますね!!」
「うんっ、早速出発しよーっ!!」
「でも、手掛かりも無しにどうするんです?」
「そうですね……。」

確かに、私達にヒントが無いのは相変わらず。結局元の問題に立ち返って頭を捻っていると、私の視界にふとFWO世界の地図が飛び込んできた。

「…たしかにこの《センターシティ》ではもう情報は出尽くしているでしょうから…北西にある《魔水晶の洞窟》、ここは未踏破エリアも多いダンジョンだから何か手掛かりがあるかもしれません。」
「えっ、でもここって強い敵がいっぱいなんじゃ……」

エーテルの不安そうな声に、私は目を潜めた。他人のステータスは細かくは閲覧できないが、それでも頭上にはアバターネームとレベル、HPゲージくらいは表示される。周りを見回すと、フェデルタは60、フィリアは59レベル…そしてエーテルの頭上には、52というレベル表示が浮かんでいた。

「《魔水晶の洞窟》の推奨レベルは55…エーテルさんは少し心配ですが、僕達が居ればどうにかならない事も無さそうですね。」
「もしかしたらレア武器が落ちるかもしれないし、行ってみましょうよ!!」
「あぅ~、戦うの苦手なんだけどなぁ~…」
「さっきまでの威勢はどこへ行ったのやら…ほら、行きますよ。」

駄々をこねるエーテルを引きずるようにして、私達は酒場を後にした。



《センターシティ》を出ると、見通しの良い大草原が広がっていた。ゲームを始めた当初から慣れ親しんだこの名も無き草原。《魔水晶の洞窟》までは、順調なら30分程で着くだろうか。

「さて、順調にたどり着ければいいのですが…。」
「最近は二つ名持ちの強力なエネミーのpop率が上がっているようですからね。僕達はよく稼ぎに使わせてもらってますが。」
「あんな面倒な連中で稼ごうとは、物好きも居たものです……。」

私達は颯爽と草原を駆け抜けていく。特に戦闘に巻き込まれることもなく進んでいたけれど…。

「あれっ、何かいるねぇ~っ?」
「うわ、二つ名エネミーですよ…!!」
「どうやら、僕達はもうターゲッティングされているようですね。」
「…そう簡単には行かないとは思っていましたが…随分な索敵範囲ですね。」

目の前に現れたのは、二つ名エネミー《重鎮のギガントプラント》。頭上のネームは黄色く表記され、少なくとも私達より数レベル上回っていることが分かる。

「ギシャアアアアアアアアアアア!!」

《重鎮のギガントプラント》は唸り声を上げながら地中から自らの根を突き出し、鞭のように振るって私達を襲ってきた。

「仕方ありませんね……!!」

脚に力を込めて、駆け出す。現実では到底不可能な速さで走り抜けて、《重鎮のギガントプラント》の目の前で背中の剣《エンシェントブレード》を振り抜く。巨木の幹に確かな手応えを感じた私は、すかさず背中のもう1本の剣《クリスタルエッジ》をもう片方の手に握り締めて振り下ろした。

「ギャアアアアアアアアアアアア!!!」
「効いてる効いてるっ!!」
「しかし、流石にあの硬い幹に物理攻撃は効き目が薄いですね。」
「そういえば、わたし達のPTに魔法系パラメータ振ってる人っていないよね…あははは。」

フィリアが苦笑いしていると、エーテルは不敵に微笑んで背中の《アークメイジボウ》を構えた。

「ふっふっふ…わたしにまっかせなさいっ!!」
「エーテルさん…?」

フェデルタが嫌な予感を察してエーテルを覗き込む。エーテルは弓を構えたままぶつぶつと詠唱を始めた。

「……………《ボムファイア》っ!!」

エーテルが詠唱を終えると、弓から矢の代わりに発射された火の玉が勢い良く飛び出し、巨木の幹に一直線に向かっていく。そして幹に振れると同時にそれは大爆発を起こした。

「ギシャアアアアアアアアア!?」
「ちょっ、げほっ、私まで焼き殺す気ですか……!!!」
「あちゃ~、ごめんごめんっ!!」

全く冗談ではない。どうして味方の魔法で私が丸焼きにならなければならないのか。間一髪で避けられた事に安堵しながら、もう一度《重鎮のギガントプラント》に向き直る。見れば、今の一撃で敵のHPはおよそ5割程まで削れていた。

「これなら……!!」

しかも、炎に焼かれて目の前の巨木は動きが大きく鈍っていた。私は意を決して再度の接近を図る。

「グシャアアアアア!!!」
「これで、決めます……!!」

目の前の巨木を睨み付けながら、私は両手に持ったそれぞれの剣を目一杯振り上げる。両手に力を込めると、2本の剣にオレンジ色のエフェクトが付与され、同時に私のHPゲージが1割くらいすり減った。でも、構うものか。

「……はっ!!」

全身を使って、2本の剣を振り下ろす。二刀流専用バトルアーツ《ヴィクトリーエッジ》。2本の剣でVの字を描くように斬り下ろすシンプルな技だけれど、防御の固い敵を崩すにはちょうどいい技だ。

「キシャアアアアアア!?」
「今です!!」

木の幹が抉れ、《重鎮のギガントプラント》の命を繋ぐ主幹が露出する。私が叫ぶと、背後からフィリアとフェデルタが一瞬の内に詰め寄ってきた。

「これで…。」
「いっちょ上がりです!!」

フェデルタは私が開けた切り口に二丁拳銃《クルーエルガン》の銃口を密着させ、拳銃用バトルアーツ《ゼロスマッシュ》で主幹を吹き飛ばした。HPが1割を切って、こちらへ大きく倒れ込んできたその瞬間、片手剣《インペリアルエッジ》を握ったフィリアが片手剣用バトルアーツ《ライジングドライブ》で巨木を突き上げる。私達にその巨木が倒れ込む直前、HPゲージを完全に失った《重鎮のギガントプラント》は青色の破裂エフェクトと共に消滅した。

「ふぅ…意外と危なかったですね…!!」
「流石はフィリアさんとフェデルタさん、見事な反応でしたね。」
「ねーねーっ、私の炎魔法はーっ?ねーっ!!」
「さて、先を急ぎましょうか。」
「わーんっ!!えくれあちゃんが無視するーっ!!」
「「あはははは!」」



勝利後も緊張感の無いやり取りを交わした私達は、その後は消耗することもなく無事に《魔水晶の洞窟》に辿り着いた。

「はぅ…いよいよだねぇ~…」
「入り口に近いエリアは既にマッピングされていますし、問題無いと思いますが…。」
「問題は未踏破の奥地ですね。」
「確か、イベントボスの《アークコボルトキング》が居た場所から奥は未踏破なんでしたっけ!」
「そうですね。想定外の高レベルエネミーがpopするかもしれませんし、調査は慎重に……あれ?」

調査は慎重に進めましょう、そう言いかけた私が言葉を切ったのは、突然視界の右上にメールの受信通知が来たからだ。妙なこともあるものだ、とメールを開いた私は、思わず顔をしかめてしまう。

「どうしたの、えくれあちゃんっ?」
「いえ…メールが来たんですが…妙なんです。」
「妙…と言いますと?」
「まず差出人表示が無い時点で妙なのですが…本文はもっと奇妙でして。」
「見てもいいですか?」

そう言いながらフィリアが覗き込む仕草を見せたので、私はメールのサブメニューから可視化ボタンを押して、3人にもメールを見せることにした。

「『オワリノハジマリ』…」
「『スベテハゼロニカエル』……って、これ何かの暗号なのっ?」
「知りませんよ、こっちが聞きたいくらいです…。」

『オワリノハジマリ、スベテハゼロニカエル』…見に覚えの無い怪文書というのは案外気味の悪いものだ、そんな事を思いながら、私はメールのサブメニューを開いて、今度は削除ボタンを押す。

「あーっ、消しちゃったーっ!!」
「あんな訳の分からないメール、気にしても仕方ありません。どうせ誰かのいたずらでしょう…さぁ、洞窟の調査に向かいますよ。」
「確かに、気にしても仕方ありませんね。」
「はい!みんなで頑張りましょう!!」

メールの事を思考から振り切るように、私はみんなを促した。みんなもそれに気付いてかどうかは分からないけれど、ともあれ4人で洞窟の中へ足を踏み入れた。でも、この時の私はまだ知らなかった。7つの宝具を集めるというこのグランドクエスト、そして私に送られてきた謎のメールが、私の運命を大きく動かす、大事件の序章だという事を……。