目覚めと暴走

ハイリヒトゥーム南東部のヴァスクイル地方、その中心部に位置するアカデミー「シーケンス」で、えくれあ・エーテル・フェデルタ・ガイエルの4名は先の魔族との戦闘についての報告を終えて治療を受けていた。

「あたたたたたぁっ!?」
「っ……姉さん、少しお静かに……。」
「痛いのはみんな同じですからね。」
「先生の言うとおりだな!!俺は全然へっちゃらだがな!!」

余りの騒がしさに医務室の職員が顔をしかめるのも何のその、4人は先の死闘が嘘のようにはしゃぎながら過ごしている。しかし、その穏やかな表情の裏ではそれぞれが隠した思いを抱いていた。

「(…私の意識が飛んだのは、確かこのデモンズエッジを握った時から……偶然、なのでしょうか……。)」
「(えくれあちゃん、あの魔族の人と戦ってる時…とても怖かった…まるで、えくれあちゃんの方が化物になっちゃったみたいな……ううん、そんなこと考えちゃだめっ!!だめ、だけど……。)」
「(…ついに魔族が動き出したか…。そろそろ限界、か……?)」
「(フェデルタ先生……この人は一体……。)」

抱えた思いを誰一人口にすることなく、時は過ぎて辺りはすっかり暗くなっていた。えくれあ達はそれぞれの部屋に戻り夜を明かした。そして夜が明けた時、事態は思わぬ方向に一変した。

「んっ……少し寝すぎましたか……あれ?」

えくれあは大きく伸びをすると、姉が寝ているはずの隣のベッドを見渡す。しかし、そこはもぬけの殻となっていた。

「…妙ですね、姉さんが私より早く起きるなんて……。」
「えくれあちゃんっ!!えくれあちゃんっ!!」

すると突然、エーテルが血相を変えて部屋に飛び込んでいた。息が上がり、視線が揺れて青ざめた表情の姉に、えくれあも異変を感じ取った。

「姉さん、一体何が……。」
「大変だよっ!!えくれあちゃん、早く逃げないとっ!!!!!」
「逃げる……!?」

エーテルに手を引かれ、わけも分からぬままに部屋を飛び出していくえくれあ。エーテルは必死に走って宿舎を出て、校門の方へと向かっていく。すると、校門の前に見覚えのある人影が立っていた。

「ガイエルさん、おはようございます。一体何がどうなって……」
「えくれあちゃんっ!!だめっ!!!!」
「!?」

えくれあがガイエルに歩み寄ろうとした瞬間、その足元に《デッドパルチザン》が叩き付けられる。

「ガイエルさん…何故です……!?」
「何故、だと…!?それはこっちの台詞だ!!えくれあ先輩!!」

ガイエルは苦痛に満ちた表情でえくれあを睨みつける。

「何故黙っていた…魔族であることを隠して…俺達を、騙していたのか!!!!」
「魔族……!?ガイエルさん、何を……!?」
「まだ白を切るというのかッ!!」

ガイエルは叫びながらビラのような物を叩き付けた。えくれあがそれを拾い上げると、そこにはえくれあの想像を絶する文章が印刷されていた。

「えくれあとエーテルなる留学生は魔族のスパイ……見つけ次第、抹殺しろ……!?」
「校長から発表があったんだ…エールアデが攻めてきたのは、先輩達が居たからだって……。」
「バカな!!どうして私達が!!」
「先輩達が、魔族のスパイだから…そうだろう!!」
「ガイエルくんっ!!どうしてそんなことっ!!」
「あの化物地味た戦闘こそが何よりもの証明じゃないのか!!」
「っ……。」

ガイエルの叫びに、えくれあは沈黙する。えくれあ自身が疑問に思っていた謎の暴走現象に、まだ明確な答えは出せずにいたのである。

「さて、お話は終わりだ…。シーケンス生徒会長ガイエル・バラットの名の下に、魔族のスパイ2名を討ち滅ぼさせてもらう!!」
「やるしかないのですか……!?」

えくれあも腹を括って応戦しようとしたその時、背中に剣が無い事に気付く。朝起きてすぐにエーテルに連れ出されたため、剣を部屋に置き去りにしてしまったのだ。

「いざ…参る!!」
「えくれあちゃんっ!!」
「やれやれ、随分と騒々しいですね。」

ガイエルがえくれあに飛びかかろうとしたその時、1発の銃声が鳴り響き、ガイエルは咄嗟に足を止める。えくれあ達が振り返ると、フェデルタがいつも通りの飄々とした表情で歩いてくるのが見えた。

「全く、逃げるなら武器くらいお持ちください…はい、えくれあさん、エーテルさん。」

そう言うとフェデルタは、部屋に置き忘れた武器をえくれあとエーテルに放り投げた。

「ありがと……って、フェーくんは何でそんなに落ち着いてるのっ!?」
「…わざわざ敵に塩を送るとは、どういうおつもりです。」
「敵とは心外ですね。えくれあさん達が逃げるだろうと思ったから、ご一緒するために来たのですが…お邪魔でしたか?」
「えっ…フェーくん一緒に来てくれるのっ!?」
「…いいのですか、私達は魔族のスパイかもしれないんですよ。」
「ははは、ご冗談を。えくれあさんはともかく、エーテルさんのような騒がしいスパイは見たことがありませんよ。」
「あぅ…何か、褒められてないよねぇ…?」

苦い顔をするエーテルの側をすり抜け、フェデルタは淡々と歩み出てえくれあに並び立つと、《メタルハンドガン》の銃口を真っ直ぐにガイエルへと向けた。

「くっ…貴様が黒幕か…フェデルタ先生…いや、フェデルタ……!!」
「黒幕とは人聞きが悪いですね…そこをおどきなさい。邪魔立てしなければ手は出しません。」
「裏切り者をやすやすと見過ごせるものか……!!」

さらに表情を険しくさせるガイエルとは対照的に、フェデルタは嘲笑うように口角を上げる。

「…随分と愚かですね。」
「なんだと…!?」
「もし仮に彼女達が魔族のスパイで、僕がその手引きをした黒幕だとしましょう……所詮は学生である君が、僕達に勝てると本気で思っているんですか?刺し違える覚悟ならば、足止めをできると……?」
「くっ………」
「実に愚かしい選択だ。もしそうであるなら君の命は何の意味もなくここで散ることになるでしょう。しかしもし僕達がただの賞金稼ぎであったなら、君の才覚で以って僕達を倒せるかもしれない…尤も君はただの殺人者に堕ちる訳ですが。いずれにせよ、この戦いに意味は無い……分かっていただけましたか?」
「くそっ……!!」

ガイエルは戦意を喪失してがっくりと膝を落とした。それを見たフェデルタも二丁の拳銃を腰のホルダーに収めた。

「フェデルタさん……。」
「言い過ぎ……じゃないかな…?」
「ではエーテルさん、貴方はここで無駄な流血と1人の優秀な学生の死を望むと、そう仰るのですか?」
「そんなことっ…!!」
「ですが、彼は強い……僕達が3人がかりだとしても、手加減して勝つのは難しいのではないでしょうか?」
「そうだけどっ……!!」
「……優しさと甘さは違う、というわけですか……。しかし、どうしてこんな事に……。」

涙目になるエーテルの横で、えくれあも苦虫を噛み潰したような表情で顔を伏せる。

「どうしてあのような情報が流れたかは分かりませんが…どうやらけしかけてきたエールアデの方も同じ情報を入手していたようです。エールアデに行けば、何か分かる事があるかもしれません。」
「……分かりました。行きましょう。」

歩きだすフェデルタに、えくれあが続く。エーテルは溜まった涙を堪えきれずに零しながら、何とかえくれあの後ろについて歩き出した。

「……本当に、裏切ったのか……先輩…!!」
「…いえ、違います。ですが、証明はできません。」
「……そうか…ならば、次に会う時は……!!」
「…えぇ。敵同士、かもしれません。そうでないことを、祈るばかりですが。」

すれ違い様、静かに会話を交わしたえくれあとガイエル。結局、ガイエルは去り行くえくれあ達に何もできないまま、その場に項垂れていた。



それから数時間後、えくれあ達一行は数度の戦闘を経てエールアデとの境界線付近まで走り抜けていた。えくれあ達の行方を阻んだ多くは魔物達だったが、中には情報を聞きつけて襲ってきた賞金稼ぎの姿もあった。

「……恐ろしいものですね。サンシャインに居た頃は、こんなにも人を殺める機会があることも、それに慣れを感じ始める自分も、想像できませんでした。」
「えくれあちゃん……」
「慣れ、ですか…。」

フェデルタは、右手に《ミスリルブレード》を握ったまま走るえくれあの後ろ姿を見ながら思考に耽っていた。

「(流石にデモンズエッジは握らないか…まぁ無理もないですね。しかし……。)」
「…えくれあちゃん、大丈夫……?」
「え、何がです?」

きょとんとするえくれあに、エーテルが不安そうな表情を向ける。

「その…前の時みたいに、おかしくなっちゃったり…しない?」
「…ええ、今は大丈夫です。むしろ、怖いくらい落ち着いています。」

えくれあはそう言いながらも、暴走した時とはまた別の心のざわつきを感じていた。

「(魔族のスパイ…ですか。確かに、もし私が本当に魔族の女を倒したと言うなら…)」

えくれあは、そっと背中の《デモンズエッジ》に手を触れた。

「(…いざという時には、抜くしかありません。私が誰で、何者であろうと…加減をして生き残れる世界じゃない。)」

その時、前方の草陰から影が飛び出した。もはや見慣れた《ウルフ》が1体、牙を剥いて襲い掛かってきた。えくれあは左手を背中から外し、右手の《ミスリルブレード》を後方へ引き抜いた。次の瞬間、彼女の身体は加速する。放たれた《ソニックインサイト》は《ウルフ》に反応の間も与えずにその四肢を斬り裂いていった。

「……姉さん。」
「どうしたの……?」
「見つけましょう…私達の両親を。」
「えっ…?」
「そうすれば、余計な疑念も晴らすことができましょう。それに、魔族との戦闘で起きた私の異変も、両親ならば何か知っているかもしれません。
「そっか…うんっ、そうだねっ!!探そう、わたし達のお父さんとお母さんっ!!」
「………。」

まだ何かを考え込んでいるえくれあと、表情を明るくしたエーテル。2人を見つめながら、なおも無言のままフェデルタは顔をしかめた。

「(…見つかると、良いのですがね…。)」

様々な疑念が解決しないまま、一行はやがてエールアデ地方へと足を踏み入れる。首都の『フェルラド』が遠くに見え始めた頃、ようやく空高く登った日差しが雲に隠れ、どんよりとした向かい風が行く手を阻むように吹き始めた…。