魔獣

教室の窓から暖かい日差しが差し込む午後。そこには先生の話と僕や同級生がノートを取る筆記音、そしてアルスの堂々たるいびきが響いていた。

「……アルス。一応聞くが、お前は具合が悪いのか?」
「……ぐぅ……ぐぅ……」

僕は仕方なく教科書を手に取り、平たい面でアルスの頭を叩く。

「うおっ!?……んあ?なんだ夢か……」
「…寝るなよ、アルス。」

あの模擬戦から1週間が経った。はじめの2、3日の間は『魔法を放った少等部』と『魔法を初見で見切った少等部』ってことで少しは人に囲まれる日々だったけど、今や以前と何ら変わらない日々を取り戻していた。

「…では、今日の授業はここまでとする。各自、復習を怠らないように…特にアルス、お前はエンヴィーによく教わっておきなさい。」
「へーい…ったく何でオレばっかり…」
「それはきみが寝てるからだろ……気を付け、礼。」

僕の号令で授業が終わる。同級生たちは各々教室を出て行く。自主訓練に行く者、勉学に励む者、友達と遊びに出かける者…そしていつもの通り、僕とアルスだけが教室に取り残された。

「さて…今日はどうする、アルス?」
「そりゃもう!!魔法を…」
「教えないぞ。」
「なんでだよーっ!?」

僕が即答すると、アルスは心外だと言わんばかりに口を尖らせてくる。でも、こればかりは仕方のないことだった。

「…この前僕が教えた時のこと、忘れた訳じゃないだろ?」
「ぐっ…こ、今度は大丈夫だ!!」
「どこに根拠があるんだ、それ…?」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その後数分間の問答の末、僕はようやくアルスを説得することに成功した。そして、時間を持て余した僕達は図書室をうろつくことにした。

「…エンヴィー、なんか頭痛くなってこないか?」
「僕は平気だけど…」
「…マンガとか、無いの?」
「……ある訳無いだろ。少しは活字を読みなよ…」

アルスをあしらった僕は、1冊の本を手に取った。『大戦争の英雄』と題されたその本は僕のお気に入りの本だ。

「またその本か?そんなに面白いのか?」
「面白いか…は微妙だけど。20年前の戦争の『生還者』の話だからね。この前授業でもやっただろ?」
「あー…う~ん…そうだっけか?」
「…きみは寝てたから知らないかもね。」

僕がページをめくる隣で、アルスは大あくびをして身体を伸ばしている。そんな時間が小一時間ほど経った頃だった。

「生徒への連絡です。少等部のアルス、エンヴィーは直ちに校長室に来なさい。繰り返します……」

そんな放送が入り、僕とアルスは驚いて顔を見合わせた。

「おい、きみ何したんだよ…!!」
「知らないぜ?…まさか、この前の特訓で校舎の壁ぶっ壊したのバレたんじゃ……!!」
「…やっぱりきみには金輪際魔法は教えないぞ。やるなら勝手にやってくれ……!!」

お互いに文句を言い合いながらも、僕たちは校長室へと歩き出した。良くも悪くも有名人な僕達は、既に周りの生徒達からも視線を感じていた。逃げ出すことなんてできやしない。校長室へたどり着いた僕は、憂鬱な気持ちを噛み殺してドアをノックした。

「失礼します。少等部のエンヴィーです。」
「うむ、入りなさい。」
「失礼しまっす!!」

僕が開けたドアから、真っ先にアルスが入っていく。僕が後に続くと、中では校長が窓際に腕を組んで立っていた。

「あの…僕達、何かまずいことを…?」
「いや、そうではないよ。」

校長は穏やかな声でそう告げたが、その目は決して笑っていなかった。

「先程連絡があってな…隣国のリンブルクルムに魔獣が侵攻したらしい。」
「隣って…オレ達もヤバいんじゃ…!!」
「…なぜ、それを僕達に?」

嫌な予感がした僕は、アルスの言葉を遮って問いを投げかける。そして、その嫌な予感は……的中した。

「我が国イグニッシュも戦力を派遣することになったのだよ。上級生を中心に部隊を編成するのだが……」
「まさか…」
「あぁ、お前たちにも白羽の矢が立ったという訳だ。」

その瞬間、僕は自分の心臓の鼓動がみるみる加速していくのを感じていた。まさか、僕達が魔獣と…?

「…うおおおおおおおお!?マジかよ!?それすげぇじゃん!!」
「なぜ、僕達なんですか…?」
「言うまでもなかろう。先の模擬戦…少等部とは思えない君達の戦いぶりを、私は評価しているのだよ。」
「っしゃあああああ!!!最強のバスターへの第一歩だ!!やってやろうぜエンヴィー!!」

1人で盛り上がっているアルスをとりあえず放置し、僕は声を絞り出した。

「僕達に…拒否権は…?」
「おい何言ってんだよ!?」
「…既に、部隊は編成済みだ。」
「……分かりました。頑張ります…」
「うむ、30分後に正門に集合するよう、他の選抜上級生には伝えてある。君達も同じ時間に集まりなさい。」
「おっす!!」

その後の事は、あまり覚えていない。気が付けば、僕達は校長室を出て自分達の寮の一室に居た。

「楽しみだな…上級生なんかに負けない活躍してやろうぜ!!」
「…きみは怖くないのか?僕は、あの日のことを……」

あの日…幼かった僕とアルスが魔獣に襲われた時のこと。あれから一度も、本物の魔獣には出会っていない。今度はその手で魔獣と戦うかもしれないことを思うと、僕の手は恐怖に震えていた。

「これは、訓練や模擬戦とは違うんだよ…?」
「…そりゃそうだけどさ。」

アルスは荷物を持って立ち上がり、僕に手を差し伸べた。

「逃げてたって、始まらないだろ?」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

それから数十分後、僕達は選抜された上級生と共に隣国『リンブルクルム』に向かっていた。大きな馬車に揺られながら、僕とアルスは隅の方に固まって座っていた。

「…みんな高等部の、それもエリートクラスの人達だね。」
「あぁ、思ったより大したこと無さそうだな!!」

アルスの声に、周囲の上級生たちが一斉にこちらを振り向いた。

「バカ、余計な事言うなよ。僕なんかじゃ敵う訳無いしきみだって勝負になるのは背丈がいいところじゃないか。」
「そうかなぁ?案外わかんないぜ。」
「とにかく、面倒事を起こすようなことはやめてくれよ。」
「へいへーい。」

馬車の中の空気が徐々にピリピリしてくるのを感じる。リンブルクルムに近付けば近付くほどそのピリピリ感は強まり、到着する頃には、もう上級生たちは僕らの事なんて気にも留めていない様子だった。

「では、作戦行動を開始する。俺達の仕事は逃げ遅れた市民の救助だ。くれぐれも、単独行動、無断戦闘は慎むように……そこの少等部2人も、死にたくなければ黙ってついてくることだ。俺達の足を引っ張るなよ。」
「…はい。」
「なんでぇ、感じ悪いヤツ。」

そこでもう僕は我慢できずにアルスの足を踏み付けた。

「ってぇ!?」
「すみません、こいつには僕からよく言い聞かせておきます。先輩方、よろしくお願いします。」
「ふん…行くぞ。」

その隊長の上級生の後ろに他の上級生達がついていく。僕達はその間に挟まれるような形で歩いていた。

「…なんでそんなにへこへこすんだよ。」
「当たり前だろう、きみ死にたいのか?」
「そうじゃねえけどさ……」

アルスは不満そうにそっぽを向いた。いつもは多少の無茶苦茶にも付き合うけど、今日ばかりは大人しくしてもらわないと困る……。

「…なぁエンヴィー、あれ…」
「なんだよ、きみは少しくらい黙って歩くことはできないのか…!!」
「違うって!!アレ見ろよ!!」

アルスがしつこいので、仕方なく僕はアルスが指差す方を見る。だけど、そこで見たのは僕にも想像付かない光景だった。

「あれ…女の子…?」
「なんだってあいつ、あんなところに1人で立ってんだ……?」

そこに居たのは、1人の少女だった。金髪のツインテールを肩まで垂らし、黒いドレスのような服を纏った少女は、魔獣の侵攻を受けて瓦礫の山となった場所にぽつんと立っていた。

「あれ、放っといていいのか……?」
「分からない…もしかしたら身動きが取れなくなっているのかも…」

僕が一瞬迷った隙に、アルスはもう声を上げていた。

「おい!見てくれよ!!あそこに女の子がいるんだ!!」
「あ?何言ってんだこのガキ…」
「あの、嘘じゃありません。僕も見ました、あそこに……あれ…?」

僕もアルスを援護しようとしたが、さっきまで居た場所に、少女の姿は無かった。

「お前ら…これはガキのお遊びじゃねえんだぞ……!!」
「嘘じゃねえよ!!本当に居たんだ!!」
「いい加減にしねえと……!!」

上級生達がアルスを取り囲み始めた。いくらアルスでも、選りすぐりの高等部の生徒達相手に勝てるわけがない。僕はついに、腹を括った。

「……すみません、先輩達。」
「あぁ?ってうわぁ!!」

上級生達の身体が痙攣してその場に崩れる。僕は【サンダーボルト】を放ったその手で腰の剣を確かめると、体躯に見合わないきょとんとした表情のアルスの腕を掴んで走り出す。

「えっ?エンヴィーお前…」
「行こう!もしあの子が要救助者だとしたら、早く助けないと手遅れになる…!!」
「…おう!!お前もたまには根性あるじゃんか!!」
「……本当にね。帰ったら大目玉だよ。」

僕達の身体はどんどん加速し、少女が居た場所へと突き進んでいった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

目的の場所まで辿り着いた僕達は、あたりを見回して少女を探し始めた。

「さっき、絶対ここに居たよな?」
「うん、僕も確かに見たからね。でもどこに行ったんだろう、そんなに遠くには行けないと思うんだけど…」

しばらくキョロキョロと見回していた僕達。諦めかけたその時、視界の端に動く影を見つけた。

「ねぇアルス、あれ……!!」
「あれはさっきの子と……魔獣!?」

そこに居たのは、さっきの少女とそれを取り囲む魔獣達だった。僕とアルスは、反射的に走り出した。

「うおおおおおおおおおお!!!!!!」
「………!!」

足の速いアルスがまず飛び込んで、少女と目の前に立ちふさがる。僕は少し遅れて少女の背後で身構えた。目の前に居るそいつらは背丈はアルスと同じくらいだけど、ずんぐりと太っていて右手には大きな棍棒が握られていた。

「こいつら…オークか…。」
「知ってるのか!?」
「あぁ…群れで行動する雑魚魔獣さ。尤も、雑魚ってのは一人前のバスターにとっての話だけど……ねぇきみ、怪我はない?」
「………。」

少女はじっとこちらを見つめているだけで、返事をしてくれない。

「あの…怪我は……」
「…してない。」
「なら良しだ!!安心しな、こいつらまとめてオレ達がぶっ潰してやるぜ!!」
「バカ言うなアルス!言っただろ、こいつらが雑魚なのはあくまで普通のバスターにとってのことで……」
「でもオレ達は選ばれてここに居るんだ!!それなら立派に一人前だろ!!」

その思考が半人前だよ…普段ならそう突っ込みたくなるところだ。けれど、アルスの叫びに刺激されたオーク達が棍棒を振り上げて襲い掛かってきたので、そっちに集中して身構える。

「…サンダーボルト!!」
「ギャアア!!!」

僕が右手から拡散させた【サンダーボルト】は目の前の2体のオークを痺れさせた。練度が低い上に拡散させたから致命傷にはならないけど…十分だ。

「てやあああああああ!!!」
「ガアアアアアアアアアア!!!!」

痺れてうまく動けないオークの1体に、僕は思い切り剣を叩き付ける。飛び散る血の匂いと、初めて感じた肉を裂く感触。一瞬怯んだけれど、僕は力いっぱい剣を引き抜いた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「今度はこっちの番だ!!」

後ろではエンヴィーの奴が1体仕留めたらしい。オレだって負けてられない。オークは棍棒を振り上げてオレへ向かってくるけど、こんなスピードなら楽勝だ。

「ギャアアアアアア!!!」

オークの右肩に挨拶代わりに一突き入れてやる。初めての実戦は、オレが思っていたより感覚に馴染んでいた。

「今度は左だ!!」
「ギオオオオオオ!!!」

ノロノロとよろめくオークの、今度は左腕を思い切り斬り付ける。血しぶきと一緒に、左腕はドサリと地面に落ちた。

「これで最後だぜ!!!」

反撃の隙なんてくれてやるもんか。両手で剣を振り上げて、そのままオークの脳天に振り下ろした。

「グォッ………」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕の目の前には残ったオークが1体。どうやら後ろじゃアルスもうまくやったらしい。だけど……

「こいつ…でかい…!!」
「グオアアアアアアアア!!!!!」

さっき倒した奴よりも、そのオークは二回りくらい大きかった。【サンダーボルト】の痺れもすっかり抜けているらしく、棍棒をぶんぶん振り回している。

「やるしか…ない!!サンダーボルト!!」

僕はもう1度電撃を放った。左手から放たれたそれは、オークの胸を目がけて突き抜けていく。

「オオオオオオオオオ!!」
「防がれた…!!」

オークは棍棒を盾のようにして【サンダーボルト】を防いできた。どうやらさっきの奴よりだいぶ俊敏らしい。魔法がダメなら、今度は白兵戦だ。

「でやあああああ!!!」
「オオオオオオオ!!!!」

右手に力を込めて、思い切り振り抜く。けれど、オークの棍棒の一振りは想像以上に重かった。僕の剣はあっさり弾き飛ばされ、オークが再び棍棒を叩きつけようと近付いてきた。

「くっ……」
「でりゃあああああああ!!」
「アルス……!!」

背後から飛び出したアルスが、僕とオークの間に割り込んで棍棒の打撃を受け止めた…が。

「うぐっ……」
「アルス!!」

アルスでさえ、オークの攻撃は受け切れずに地面を転がった。思えば、アルスが誰かに圧されているのを見るのは初めてかもしれない。オークがじわじわと詰め寄り、僕達を打ち砕こうと再び棍棒を振り上げる。そして、それが振り下ろされる瞬間だった。

「……い。」
「…え?」
「……弱い。」

後ろに居た少女が突然声を上げた。そして次の瞬間、オークの攻撃は見えない壁のようなものに弾かれる。オークも状況が飲み込めずに混乱している様子で、こちらを伺っていた。

「な、なんだ!?」
「……結界魔法。」
「結界魔法って…そんな高度な術を、君が…?」

結界魔法は高位のバスターでも使える者が少ないと言われる難しい魔法、それをなぜ、この子が…?疑問が解消するより前に、少女が再び口を開いた。

「…あなた達、弱いのね。」
「………んだとおおおおおお!!!!」
「落ち着けアルス!!…君なら、あいつを倒せるのかい?」

僕が少女に問いかけると、少女は無言で一歩前に進み出て右手をかざした。

「……アースエッジ。」

少女が唱えると、地響きと共に鋭く隆起した地面がオークを貫いた。下からの急襲に僅かな反応も許されず、無言で崩れ落ちるその魔獣の最期を、僕とアルスは呆然と眺めていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

戦闘を終えた僕達は、ひとまず最初に上級生達と別れた地点まで戻ることにした……この無言で無表情で、何を考えているかさっぱり分からない少女を連れて。

「…ねぇ、きみの名前は?」
「………テリー。」
「へぇ、よろしくなテリー!!で、お前リンブルクルムの生まれなのか?」
「…………」
「ってオレの話は無視かよ……」

がっくりと肩を落とすアルスに少しだけ同情しながら、僕はもう一度テリーに尋ねた。

「きみは、これからどうするつもりだい?」
「……ない。」
「はああぁ?」

苛々と聞き返すアルスを睨みつけてから、僕はゆっくりと話を続ける。

「ええと、僕達は隣国のイグニッシュのバスターズアカデミアの生徒なんだ。だから、この後僕達はそこへ戻るんだけど…きみの身元が分かれば、そこへきみを送り届けることができると思う…んだけど……」
「………」

テリーの様子を伺いながら話しかける自分が、何だか滑稽に思えてきた時、テリーはとんでもない事を言い出した。

「…じゃあ、私もイグニッシュに行くわ。」
「「………え?」」
「…私もアカデミアに入る…あなた達でも入れるんだから、私でも入れる。」
「いやそうかもしれないけど…じゃなくて!?いきなり入学なんて無理だよ!!それに僕達はまだ……」

まだ少等部だから弱くてもしょうがない…そんな負け犬地味た言葉が出かかったのを必死に飲み込んで、僕はすたすたと先を行くテリーを追いかけた。アルスのこともちょっと気になったけど、後ろからドスドスと不満そうな足音が聞こえてくるからとりあえずは大丈夫らしい。それにしても、あんな子がうちの学校に来たら……どうにも騒がしくなりそうな予感を感じながら、僕達はリンブルクルムの街を駆け抜けていった……。