謎の少年

広大なハイリヒトゥームの土地の南西に広がる巨大な『ドゥルネー砂漠』。その境に位置する市場街『テミリ』に、2人の若き賞金稼ぎが足を踏み入れる。

「ふえ~、暑っついねぇ~っ!」
「…あまり大きな声を出すと、無駄に体力を消費しますよ。」

額の汗を手で拭いながら目の前に広がる光景を眺めるエーテルと、少し冷めた目で隣の姉を見やるえくれあ。2人はおよそ4日間程の行程で険しい樹海を抜けて、ようやくこの『テミリ』の街に辿り着いたのだった。

「それにしてもすごい人だねぇ、これが市場なんだーっ!」
「そのようですね。必要な物資もいくらか調達できると良いのですが…。」

そう言いながらえくれあはふと自分の財布を開く。アカデミーを卒業した時に支給された餞別金は、まだ殆ど残っている。これだけ巨大な市場なら装備も新調できるかもしれない…えくれあがそんな風に考えていたその時、遠くから姉の叫び声が聞こえてきた。

「えくれあちゃーんっ!!見てこの洋服!!すごい可愛いよ~っ!!」
「……。」

呆れて溜息を付いたえくれあは姉を無視し、良質な武器屋を求めて市場の中央の方へと進んでいく。すると、えくれあが向かう方から何やら怒号の様なものが聞こえてきた。

「…?何の声でしょう……。」
「おらぁ!?そこをどきやがれ!!」
「助けて!!泥棒よ!!!」
「……!!」

やがてえくれあの前に、きらびやかな鞄を抱えた分不相応な大男がのしのしと走ってくる。えくれあはその男の進路を阻むようにその小さな体で仁王立ちし、そして。

「何だテメェ!!!どかねぇと殺すぞクソガキがぁッ!?」
「……下衆が…死ぬのはあなたですよ…。」

大男が拳を振り上げて眼前まで迫ったえくれあに殴りかかろうとする。そしていよいよその拳が炸裂しようというその刹那、えくれあが素早く身を翻して拳を躱し、背中の《ブロードソード・ノーブル》を右手に握り締めた。僅かに、一瞬の出来事。

「があぁッ!?」
「……他愛もない。喧嘩を売るなら相手を選ぶことです…。」

えくれあの一振りは大男の右腕を的確に捉え、血飛沫と共に斬り落とした。地面には大男とその右腕、そして盗まれた鞄がどさりと落ちる。

「あぁ!!ワタクシの鞄!!」
「…これですね。すみません、落とした時に少し汚れてしまったかもしれませんが……。」
「構わないわ!お陰で鞄を取り戻せたんだもの、お礼を言わせてちょうだい!」

後からやってきた鞄の持ち主、全身を豪華絢爛な衣服に包まれたその女性は、嬉しそうにえくれあの手を取り謝辞を述べる。えくれあは鞄を渡して無表情のまま謝辞に応える。

「それにしても、貴女小さいのに強いのねぇ!」
「…これでも賞金稼ぎですから。尤もまだ新米ですが。」
「あらそうなの!なら丁度いいわ、貴女にお願いしたい仕事があるのよ!」

『小さい』というワードに引っかかり、妙な不快感を覚えていたえくれあ。しかし仕事の話となった途端に表情を引き締めて会話に応じる。

「仕事…ですか。詳しく聞かせてください。」
「ええ。実はね、さっきの大男は盗賊団の一味なの。ワタクシ、その一味に他にも宝石をいくつか取られてしまったのよ。」
「…つまり、盗賊団を叩いて宝石を取り返せ…という事ですか。」
「話が早くて助かるわ。報酬は後払い、貴女の言い値で結構よ。」
「……分かりました。この依頼、引き受けさせていただきます。」
「ありがとう!盗賊団のアジトは突き止めてあるわ、デュルネー砂漠にある洞窟よ。地図を渡すからできるだけ急いで向かってちょうだい!」
「…分かりました。」

えくれあは貴婦人から地図を受け取ると、踵を返して姉のエーテルの元へと走り出した。見物の野次馬をかき分け、ぐんぐんと進んでいく。野次馬たちはやがてその場を離れていったが、最後までその場に残り、えくれあが仕留めた大男の遺体を物色する影があった。

「…まだ、のようですね……。」

物色していたその人影、青い髪に質素な衣服のその少年は、誰ともなしに意味深な言葉を呟くと、まるで初めからそこに居なかったかのように姿を消した。



それから2時間後、えくれあ達姉妹は『テミリ』の街から『デュルネー砂漠』へと足を運び、地図を頼りに盗賊団のアジトを探していた。

「だいぶ近付いてきたようですが…。」
「それよりえくれあちゃん、休憩しよ~…もう無理だよ~…」
「さっき休んだばかりでしょう。少し水でも飲んで我慢して下さい。」
「水…もうさっき飲みきっちゃったよ~…」
「なっ……!?」

エーテルからの想定外の返答に思わず目を見開くえくれあ。彼女の水筒には、まだ半分ほどの水が蓄えられていたが、なんと目の前の姉は同じ量の水筒の中身を全て飲み干したというのだ。

「…とりあえず私のを一口分けます。いいですか、一口だけですよ…!!」
「わぁ~…えくれあちゃんが天使に見えるよ~…。」
「…幻覚が見えるほど疲弊しているなら、邪魔だから置いていきますが。」
「わぁ~うそうそごめんっ!!おかげでへっちゃらだってばっ!!」

エーテルが慌てて元気な素振りをして見せたその瞬間、2人の背後で大きな砂埃が舞った。

「キシャアアアアアアアア!!」
「くっ、エネミーが…!!」
「うわぁ、おっきいね~…」

砂の中から現れたのは《ディグスコーピオン》。人間の4倍はあろうかというその巨大蠍は、両手の大きな鋏をちらつかせてえくれあ達を睨み付ける。

「先手必勝…かなっ!」
「…私が床に伏している間に少しは成長したようですね……!!」

姉の意外な発言に内心は感心しながらも、えくれあは表情を変えぬまま双剣を構える。その横ではエーテルが既に《ロングボウ》を引き、魔力を矢に集中させていた。

「あったれえええええええええっ!!」

エーテルが放った《パーシストアロー》は真っ直ぐに《ディグスコーピオン》の鋏へと向かっていく。矢は見事鋏へと命中するが、余程硬いのかびくともしない。えくれあも続いて左手の剣の《ソニックインサイト》で鋏を突き刺し、右手の剣を翻すように薙いで《ターンスワロー》を放つ。しかし剣撃は全て弾かれ剣身が刃毀れするのみに終わった。

「随分硬いですね……!」
「シャアアアアアアア!!」
「くっ…!!」
「えくれあちゃんっ!!」

宙を落ちていくえくれあに《ディグスコーピオン》の鋏が襲いかかる。咄嗟に剣を交差させて受け止めるが、バランスを崩して着地に失敗したえくれあは苦痛に表情を歪めた。すると《ディグスコーピオン》は鋏を使って巧みに穴を掘り、地中へと潜って姿を消した。

「くっ…地中から奇襲するつもりですか…!!」
「えくれあちゃん大丈夫?…癒しの風よ、ここにそよげ…リェチーチ!!」
「ありがとうございます、少し痛みが和らぎました…。」

エーテルの治癒魔法で少し表情が落ち着いたえくれあは、すぐに周囲を警戒して耳を澄ませる。自分達を襲うために足元から襲い来るその挙動を察知するためだ。

「どこから出てくるかなぁ…。」
「しっ。黙って下さい、音が聞こえません…!!」
「あぅ~…」

えくれあに叱責されたエーテルが肩を落としたその時、巨大蠍はえくれあ達の『真正面』の地中から飛び出してきた。そして浮上とともに舞い上がった砂をえくれあ達に叩きつける。

「ぐっ、しまった……!!」
「きゃっ、前が見えないよっ!!」

砂によって視界を奪われたえくれあとエーテル。そこへ《ディグスコーピオン》の鋏が2人の生命を刈り取ろうと振り下ろされる。万事休すかと思われたその時、どこからともなく2発の銃声が鳴り響く。そしてえくれあ達を引き千切るはずの鋏は、両方共大きな焦げ跡を残して砕け散った。

「銃声…一体誰が…?」
「うぅ、まだ見えないよ~…」

やがて2人が漸く視界を取り戻して目を開けると、そこには巨大蠍の前で佇む青髪の少年が1人。その両手にはそれぞれ一丁ずつの拳銃が握られていた。

「…ご無事で何よりです、お嬢様方。」
「えっ…?」
「お嬢様…?貴様、何者です……!!」
「…そうですか、やはり覚えていませんか。」
「さっきからごちゃごちゃと、一体何を…」
「来ますよ、構えて下さい。」
「!!」

少年に詰問しようと詰め寄った時、少年の叫びでえくれあはとっさに臨戦態勢に戻る。

「奴の装甲は硬い。鋏は壊したとは言え、物理攻撃では撃破は難しいでしょう…。」
「じゃあどうすればいいのっ!?」
「あなたのその銃…ですか。」
「これはただの銃ですよ。ただ、僕はただの銃弾を撃ったわけではありません…。」

少年はそう言うと銃に魔力を込めて詠唱を始める。

「燃え上がる炎よ、全てを焼き焦がす炎弾となれ…フレイムバレット!!」

少年の詠唱が終わると、銃口は爆炎とともに炎に包まれた銃弾を撃ち放つ。その炎弾は燃え上がりながら突き進み、命中とともに激しく燃え上がる。

「弾が燃えてるっ!?」
「魔法剣…いや、これは……」
「魔法弾、とでも呼びましょうか。別段僕のオリジナルという訳でもありませんが。」

少年は身を焼き焦がす炎に悶え苦しむ《ディグスコーピオン》を涼しい顔で眺めながら説明すると、再び銃に魔力を込める。

「これで最期です…燃え上がる炎よ、全てを焼き焦がす炎弾となれ…フレイムバレット!!」

少年の2度目の《フレイムバレット》もまた、巨大蠍の頭部を的確に捉えて燃え上がる。炎が燃え尽くした時、そこには原型も残さぬ灰と化した《ディグスコーピオン》の残骸だけが残った。



「で…あなたは結局何者ですか。」
「いけませんよ、助けてもらったらまずは礼を述べるのが礼儀というものでしょう、お…いえ、えくれあさん。」
「なぜ私の名前を…!!」
「勿論知っています。エーテルさん、あなたの名前も。」
「ふえっ!?ええっと…もしかしてわたし達のファン…とかかなっ?」
「…っくく、何ですかそれ?」
「…姉さん、黙って下さい。」

エーテルの斜め上の返答に思わず吹き出す少年と苛立ちを隠さないえくれあ。きょとんとしたエーテルをよそに、会話は続いていく。

「まぁいいでしょう。僕の名前はフェデルタ。そうですね…賞金稼ぎ…のようなものでしょうか。」
「のような…?」
「まぁ厳密に言うと違うのですが、ほぼ賞金稼ぎと同義と受け取っていただいて構いません。今日ここに来たのはお二人に会うため…ファンというのも、当たらずといえども遠からずと言ったところでしょうか?」
「う~ん…なんかよくわかんないよ~っ!」

フェデルタと名乗った少年の、妙に煮え切らない言い回しに混乱したエーテルは、いよいよパンクらしく両手で頭をくしゃくしゃにし始めた。

「ははは。とにかく、僕はお二人の度に同行してお手伝いさせて頂きたいのです。僕の魔法弾はそれなりに役に立つと思いますがいかがでしょう、えくれあさん。」
「…お断りします。あなたが私達を罠に陥れようとしている可能性を否定できません。」
「慎重な姿勢ですね。ではこれならどうです?今あなた達がこなしている仕事に僕を使って下さい。利用しても捨て駒にしてもらっても構いません。必要以上に警戒されても僕は結構です。それで信用を勝ち取ることが出来たら旅の道連れに加えていただく…悪くない話だと思いますが。」

フェデルタの提案に腕を組んで思案するえくれあ。決して警戒心を解かないまま、彼女は目の前の少年に問いかける。

「一つだけ、質問があります。」
「何なりと。」
「なぜ私達にそこまで拘るのです。旅の道連れなら、テミリの街を探せばいくらでもいるでしょうに。」
「それは…」
「それは……なぁにっ?」
「今は、言えません。」
「……。」
「ですがいずれ必ずお話します。だから…!」
「う~ん、どうするえくれあちゃん?」

エーテルに問いかけられ、目を閉じて再び思案するえくれあ。やがて目を開けると、銀髪の少女はこう告げた。

「……付いて来たいならご自由に。ただし、私達に仇なす素振りを少しでも見せたら問答無用で斬ります。それが了承できるなら…私は構いません。」
「ありがとうございます、えくれあさん。エーテルさんも、これから宜しくお願い致します。」
「うんっ、よろしくね~っ!じゃっ、早速アジトを探しに出発だねっ!」
「アジト…?」
「盗賊団のアジトですよ。今からそこを叩きに行くんです。」

そう言ってすたすたと先行するえくれあ。エーテルはフェデルタの肩をたたいてスキップでえくれあを追う。

「えくれあちゃん歩くの速いから頑張らないとだよっ!あ、そうだ。フェーくんって呼んでもいいかなっ?」
「ふぇ、フェーくん…ですか?えぇ、構いませんよ。」
「えへへ~、じゃあそう呼ぶね、フェーくんっ!」
「お二人とも、置いていきますよ…?」
「わぁっ!?待ってよえくれあちゃ~ん!!」

えくれあに急かされて歩を急ぐエーテルとフェデルタ。えくれあはそんな2人に背中を向けて、再び目的の盗賊団アジトを目指して歩き出す。

「(どうやら盗賊団の仲間という様子ではないですが…しばらく様子見ですね…。)」

そんなえくれあの思考を露とも知らぬエーテルとフェデルタがようやく追い付き、3人並んで歩き始める。新たな同行者を加えたえくれあとエーテルの旅の行方はどこへ向かっていくのか。先を見通せないままに、次の目的地は近付いていく…。