英雄への道

「さて、では前時の復習から始めよう。現在、我々人類が確認している魔獣の種類の総計だが…エンヴィー、覚えているかね。」

教室の前に立っているその先生は、僕を見ながら自分の眼鏡をくいっと上げた。この先生、毎回指すのは僕ばっかりだ…なんて愚痴を飲み込んで、僕は席を立って答えを述べる。

「はい。現在はおよそ3000種の魔獣が観測されていますが、その半数は詳細が不明。また、未確認の魔獣種も観測されたものと同数程度存在すると考えられています。」
「素晴らしい回答だ。エンヴィー、座りなさい。」

僕は静かに席に座り、先生の話の続きを聞き流す。何しろ小さい頃から、孤児院の図書室で散々この世界の事に関しては勉強してきたから、今更ヘリクス史なんて学ばされても、正直退屈だ。

「……では、その『生還者』の名前を……ふむ、アルス!!答えなさい。」

『生還者』、それは魔獣を狩る者『バスター』の中でも、20年前に起こった人間と魔獣の大戦争から唯一生還したと言われる伝説のバスターに与えられた称号。そんなの誰にだって答えられる。だけど……

「……すー…すー……」
「…アルス、また居眠りか…いい加減にせんかお前は!!」

先生が教科書の背で、アルスと呼ばれたその少年の頭をひっぱたく。僕の隣のそいつは、ようやくゆっくりとした動きで起き上がった。

「あー…ごめん先生、オレ寝てたからわかんねえや!!」
「全くお前は…」
「てか先生さ、オレの頭は太鼓じゃないんだからそんなバシバシ叩くなよなー!!」
「…きみの頭は太鼓より良い音がするじゃないか。」

僕が横槍を入れると、教室はどっと笑い声が起こった。言い出しておいてなんだけど、教室の他の子たちがアルスをバカにするのはちょっと癪なんだ。だって……

「もういい、お前は一度顔でも洗って頭を冷やしなさい。」
「ほーい!」

……ぼくは、こいつにだけは一度も勝ったことが無いから。

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授業が終わると、同級生たちはぞろぞろと教室を出ていった。バスターズアカデミア…取り分けここ、イグニッシュ王国の分校は金持ちの子が多いのが特徴らしい。1階には大きな食堂があるから、大抵はそこで昼食を摂るんだけど、僕みたいな孤児は学校配給の弁当を食べる…気が付けば、教室には僕とアルスだけが残されていた。

「よっエンヴィー!一緒に食べようぜ!!」
「そりゃ、僕達しか居ないからね…っていうか、いつもの事じゃないか。」

僕の隣の席で、アルスはにかっと白い歯を見せて笑っている。自分で言うのもなんだけど、僕は小等部屈指の学習成績、俗に言う優等生って評価。逆にアルスは授業で寝てばかりの万年ドベ。でも、僕達は孤児院の時からずっと一緒に過ごしてきた、所謂腐れ縁ってヤツだ。

「ねぇアルス。きみ、僕と約束したこと覚えてる?」
「約束~?あっ、またテスト前にノート見せてくれよな!!」

僕は、もうただただ呆れ返ってそいつを見返した。

「…もういいよ。僕もきみもまだ小さかったし…」
「っとっと、そのことだったらちゃんと覚えてるぜ!!」

アルスは口に入っていた弁当を飲み込み、また白い歯を見せた。

「世界一のバスターになる…だろ!!」
「ううん…まぁ、それはそうだけど…」

そう……約束。森で魔獣に襲われていたところを、1人のバスターに命を救われた5年前、僕達は2人で誰よりも強いバスターになろうと誓った。そして、僕達と同じように親を失い、寂しく身を寄せ合って暮らす子供達が居ない、平和な世界を作ろうって……

「っし、ごちそうさん!!午後は小等部が模擬戦やる日だろ!?先に行ってるぜ!!」
「え、あ、ちょっと…!!」

僕が返事をする間もなく、アルスは教室を飛び出していった。僕はなんとなく沈んだ気持ちに鞭を打って、アルスの後を追っていった。

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その後、ぼくが午後の授業開始10分前に大闘技場に着いた時には、巨大な大闘技場の観覧席は既に、イグニッシュ分校の生徒達で埋め尽くされていた。

「うわ、座る所無いや……」
「おーい!!エンヴィー!!こっちだこっち!!」

何だか聞き覚えのある騒がしい声。振り向くと、アルスが2人分の席を寝っ転がって陣取っていた。

「…ありがたい気持ちはあるけどさ、それ周りに迷惑だから…」
「でもこうでもしないと座れないだろ?ほらほら!!」

アルスに促された僕は、周りの人達に最大限の謝意を示しながら席に着く。すると丁度、実技担当の先生が闘技場の中央に現れた。

「ただいまより、小等部の代表模擬戦を開始する。生徒は、その動きを良く観察し、己の精進に役立てるように。」
「さぁ、今日は誰が選ばれるかな…!!」
「そりゃ、模擬戦の成績が良い2人だから…」

どうせ、という言葉とその続きを飲み込んだ僕は、黙って選手発表を待った。

「まずは…アルス!!戦場に降りなさい!!」
「うおっしゃあああああああああ!!!!!行ってくるぜエンヴィー!!」

アルスは大はしゃぎで観覧席を降りていく。僕は一瞬白々しさも感じたけど、多分アルスの事だから素ではしゃいでるんだろうなと思い直し、次に続く言葉を待った。

「対戦相手は……エンヴィー!!お前も降りなさい!!」
「…はぁ……」

僕は大きく溜息を付いて観客席を降りていく。

「またあいつらかよ~いっつも同じじゃ~ん」
「しょうがねえよ、エンヴィーはイグニッシュ分校の歴史で一番の優等生って話だしな~」
「………」

優等生…その言葉が僕は嫌いだ。確かに勉強はしてきた。アルスと約束したあの日から、僕は優秀なバスターになるために様々な事を勉強してきた。この世界の事、魔獣の事、そして戦いのこと…だのに……

「へへ、お互い頑張ろうぜエンヴィー!!」

闘技場に降りた僕は、目の前で無邪気に笑うアルスを一瞬だけ睨みつけた。今まで一度も模擬戦で勝ったことのない、そいつの顔を。

「…うん、頑張ろう。」
「両者用意はいいか…それでは、始め!!」

そして、模擬戦の幕が切り落とされた。

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「うおおおおおお!!!行くぜエンヴィー!!!!」
「くっ………!!」

アルスは模擬刀を振り上げて真っ直ぐに向かってくる。何の技巧も、牽制すらも無い、真っ直ぐな突進…だけど、速い。

「舐めるなよ、アルス……!!」

僕は突進をギリギリまで引き付けて右に躱す。アルスの模造刀は思った以上の速度で突き出され、僕の左頬を掠めていく。

「はっ……」
「おお!?やるなエンヴィー!!」
「ちっ……!!」

すれ違いざまに薙いだ僕の模造刀を、アルスは余裕たっぷりに躱してあまつさえ笑顔まで見せてくる。無自覚に僕を煽るアルスに苛立ちを覚えながらも、血が昇った頭を理性で抑え込む。

「この間合いなら…!!」
「おっし、もっかい行くぞー!!」

直ぐに踵を返して剣を構えるアルス。僕との距離はおよそ模造刀8本分くらい。これなら…いける。

「はああああ……!!」
「うおりゃああああ!!!!」

右手に魔力を溜める僕。何も考えずに突っ込んでくるエンヴィー。頼む、早く…もっと早く……。

「……サンダーボルト!!」

僕の右手に蓄積された魔力が、姿を変えて放たれる。それはほんの小さな電撃。だけど、アルスの突進よりも早いその電撃は不用意に突っ込んできたアルスに命中して卒倒させる………はずだった。

「うおぉ…なんだ今の!?エンヴィー、お前何やったんだ!?」

そいつは…アルスは尻もちをついたまま、見開いた目をきらきら輝かせながら僕を見ていた。観客席からはどよめきが起こっていたけれど、そんなものは僕の耳から耳へそのまま通り抜けていく。

「ねぇ、今のってサンダーボルト…よね?」
「あぁ…だけど、なんで初等部のチビが魔法使えるんだ…?魔法基礎の授業って中等部からだろ?」
「しかも、あのアルスって子…普通に避けたわよ?有り得ないわ、魔法なんて見たこともないでしょうに……」

審判の先生でさえ、戸惑いながら僕達を見ていた。まだ使えないはずの魔法を使った僕、そしてそれを初見で避けきって見せたアルス、どちらも想定外の出来事だったのだろう。やがてアルスも立ち上がり、再び僕に模造刀を向けた。

「へへっ、やっぱりエンヴィーはすごいな!!お前となら、きっと最強のバスターになれるぜ!!」
「あぁ…そうだな……」

まだ先生は模擬戦終了の合図は出していない、けれど勝負は…僕の完敗だ。今日までの僕とエンヴィーの戦績は49戦49敗。今日こそはアルスに土をつけてやろうと必死になってようやく使えるようになった雷の魔法【サンダーボルト】もあっさり躱され、打つ手を失った僕があいつの無茶苦茶な白兵戦闘に打ちのめされるのは明白だった。

「………だけど…!!」

僕も模造刀を構え、アルスに向かって走り出す。こいつにだけは、絶対に弱さを見せたくない。たとえ勝てないことが分かっていても、最後まで抗ってみせる…いつか強くなってアルスを倒せる、その日まで。

「これで決着だ!!とりゃあああああ!!!!!!」

アルスも僕に向かって模造刀を振り上げた。僕とアルスが振り抜いた模造刀の軌道が交錯する。次の瞬間、僅かな手応えを感じたとともに、目の前に火花が散って視界が暗転した。

「そこまで!少等部代表模擬戦、勝者はアルス!!」
「うおっしゃー!!…ってエンヴィー!!大丈夫か!?」

遠くの方から、模擬戦終了を告げる先生の声と慌ただしく叫ぶアルスの声が聞こえる。でも、僕の身体はどうやらそれには応えることができないらしい。闘技場の歓声とアルスの声が徐々に遠ざかっていき、僕の意識はやがて完全に途絶えた…。