一対の紫闇

表面を水に覆われた惑星、ウォパル。その海岸エリアに、一筋の風が吹いた。夜の闇に溶け込むように流れるその風と共に、1人の少女の姿も現れる。

「……」

宵闇に同化しそうな程の暗い色合いの衣服を纏い、生気の抜けた表情で歩く青髪の少女。波打ち際を無言で、ゆっくりと歩く少女・フィリアの先には、別の蠢く影が2つ。

「……邪魔。」

風の音にかき消されそうな彼女の呟きと共に、空を切る音が響く。気が付くと、彼女の右手には銃剣《イクスシュレイラ》が握られており、前方には2体の《トルボン》が真っ二つになっていた。

「何なのよ……」

フィリアが再びか細い声で呟く。その声に応えるように、闇から無数の影が姿を現した。《シュトルーダ》に《ティラルーダ》、大量のダーカー達は瞬く間にフィリアを取り囲み、今にも襲い掛からんと翼を広げて威嚇している。

「雑魚が…鬱陶しい……」

ダーカー達を睨み付けながら低い声で呟くその姿は、かつての彼女からは想像も付かぬほど暗く、陰鬱なオーラを放っていた。

「……シュトレツヴァイ」

次の瞬間、耳鳴りのような音がこだました。と、同時に《イクスシュレイラ》からは無数の銃弾があらゆる方向に飛び出していく。音速にも感じられる速さで放たれたそれらの弾丸は、フィリアを取り囲んでいたダーカー達の胴体に風穴を空け、ただの1体さえ残さずに昇華させていった。

「…くだらない。」

ダーカーの残滓が漂うその場所をフィリアは無表情のまま通り過ぎようとする。青白く光を纏ったフォトンの刃が彼女の足元を抉ったのは、まさにその瞬間だった。

「……何。」
「陰気なヤツ……アンタさ、こんなところで何してる訳?」

フォトンの刃が飛んできた方向から、やがて1人の少女が現れた。闇に溶けるような深い紫色の衣に、鮮やかな薄緑色の髪を2つに結んだその少女は、眉間にしわを寄せながらつかつかとフィリアに歩み寄っていった。

「…別に関係無いでしょ。」
「はぁ?喧嘩売ってんじゃないわよッ!!黙って答えなさいッ!!」

目も合わせずに淡々と応えるフィリアに、苛立ちを隠さない少女は腰に納めていた《ZodiacSign》を振り上げ、フィリアの首元に突き付けた。

「……。」
「あぁッ!?何スカしてる訳ッ!?少しはビビんなさいよッ!!」
「やめておけ、フレイヤ。」

首元に赤い筋が伸びて尚、眉1つ動かさないフィリアに語気を荒らげるフレイヤ。その時、フィリアの背後からもう1つの人影が突如として出現した。フレイヤと呼ばれたその少女と同じ紫の衣、同じ薄緑色の短髪の青年は、音も無くフィリアの背後に迫り、彼女の首元に突き付けられた刃を静かに下ろした。

「何すんのよッ!!」
「落ち着けフレイヤ、あまり煩いと目立つぞ。」
「…分かったよ、フレイ兄ちゃん。」
「…!?」

フレイヤはしょぼくれた表情で武器を収める。しかし、フレイヤが発した言葉にフィリアが僅かに反応を見せた。

「…あなた達、兄妹なの?」
「あぁ、俺の名はフレイ。こいつは妹のフレイヤだ…さぁ、今度はてめぇが俺の質問に応える番だぜ。てめぇ…こんな所で何してやがる?」

フレイは静かな声に殺気を秘めてフィリアに詰め寄った。フィリアはじっとしたまま答えないが、その右手は僅かにピクリと動いた。

「……。」
「何怖気付いてんのよッ!!答えなさいよッ!!」
「……黙れ。」
「何……?」

フィリアの口からようやく発せられたその言葉は、今までとは違う明確な敵意を宿していた。

「黙れ…黙れ黙れ黙れ!!」
「こいつ…ッ!!」

フィリアは顔を歪ませて叫びながら、《トライインパクト》を放つ。銃剣《イクスシュレイラ》は3度閃き、命を刈り取る刃と化してフレイヤに迫った。フレイヤは咄嗟に後方へ宙返りしながら斬撃を躱し、再び《ZodiacSign》を構える。

「ねぇ兄ちゃんッ!こいつもう殺っちゃっていいよねッ!?」
「一応目立つ事はするなと言われちゃいるが……怪しい奴は殺せとも言われてるし仕方ねぇな……!!」
「…別に私がどうなろうがどうでもいい……でもあなた達は殺す…不愉快だわ……」

フィリアの姿が、消えた。次の瞬間、その身体はフレイヤの眼前まで迫っていた。フィリアはその勢いのままフレイヤを突き上げ、反動で離脱しながら2発の銃弾を放った。

「レーゲンシュラーク…だけじゃ終わらないわ…」
「舐めんな…ッ!!」

フレイヤは力強く地面を蹴り上げ、フォトンの鞭刃《イモータルターヴ》をフィリアに叩き付ける。そしてフィリアが咄嗟に右に身体を翻そうとしたその時だった。

「俺を無視するとはいい度胸じゃねえか…!!」
「っぐ…」

背後には、いつの間にかフレイが迫っていた。フレイは突進の勢いを生かし、《ギルティブレイク》でフレイヤに斬り掛かった。高速の斬撃はフィリアの背中を容赦なく切り裂き、その華奢な身体は激しく地面を転がった。

「こんな奴がルーサーの奴の邪魔になるとは思えねえが…」
「ルーサー…!?」
「どっちにしてもうざいからさっさと殺っちゃおうよッ!!」

フレイから飛び出した「ルーサー」という名前に目を見開くフィリア。フレイヤは怒りに満ちた表情でフィリアに駆け寄り、飛翔剣を振り上げた。

「ケストレル……ッ、」
「…クイックマーチ」

フィリアはフレイヤが構えた《ケストレルランページ》を《クイックマーチ》の上方蹴りで相殺し、そのままフレイヤごと2回目の蹴り上げで高く打ち上げた。

「てめぇ…!!」
「…遅いわ。」

フレイが慌ててフィリアを斬り伏せようと大剣《アポトーシス》を振り下ろす。しかし、既に空中へと舞い上がったフィリアはお構い無しに双小剣《ノクスネシス》を構える。

「…さない。」
「あぁ!?何ぶつぶつ言ってんのよッ!!」
「…兄妹一緒なんて…絶対許さない。」
「は……!?」

フィリアの淀んだ瞳がフレイヤを睨み付ける。その眼光に圧されたフレイヤの動きが、一瞬止まった。

「…ワイルドラプソディ」
「ぐッ……!!」

フィリアの身体がコマのように空中を舞い、幾度と無くフレイヤの身体を蹴り付け、切り裂いていく。

「…オウルケストラー」
「がッ……」

怯んだフレイヤの身体に、更に無数の連撃が襲う。無抵抗のフレイヤに、フィリアは無表情で連続斬りを浴びせる。

「…シンフォニックドライブ」
「がはッ……」

フィリアの右脚が、フレイヤの腹部に突き刺さる。上から蹴り付けられたフレイヤの身体は真っ直ぐに地面に叩き落され、激しい衝突音と粉塵を巻き起こした。

「っぐ……畜生……ッ!!」
「……次は、そっちのあなた。」
「てめぇ、よくも妹を……!!」

着地してすぐ、フィリアはフレイに向き直る。フレイは怒りに震える手で《アポトーシス》を握り直した。

「あなたも味わえばいい…引き裂かれる苦しみを、二度と言葉を交わせない悲しみを……」
「何の話か知らねえが……少し本気を出してやる必要があるみてぇだな……シフタ!!」

フレイは《シフタ》を放つや否や、全速力でフィリアに向かって駆け出した。

「食らいな、サクリファイスバイト!!」
「……。」

フレイは《アポトーシス》に青いフォトンを纏わせ素早くフィリアを斬り付ける。フィリアはそれを正確に見切り、僅かに身を翻して躱した……はずだった。

「っ……!?」
「どうだ…てめぇのフォトンを『食われた』気分は…!!」
「フォトンを…?」
「これで終わると思うんじゃねえぞ!!ギルティブレイク!!」

フレイは再び《ギルティブレイク》でフィリアに肉薄した。やむなく双小剣の刀身で受け流そうとしたフィリアを、フレイの剣撃は強引に吹き飛ばした。

「…さっきより、強く……」
「これで終わりだ…!!」
「だからと言って、同じ手が2回も通じると……」
「同じじゃねえんだよッ!!お返しだクソ女ッ!!リミットブレイクッ!!」

何とか体勢を立て直したフィリアの背後には、叩き落されたフレイヤが
《ZodiacSign》を握り、待ち構えていた。フレイヤは傷口や口元から鮮血を滴らせながら、フォトンに満ちた身体で剣を振り上げる。

「食らいやがれッ!!ジャスティスクロウッ!!」
「あっ……がっ……」

無防備なフィリアの背中に、今度はフレイヤの渾身の拳が突き刺さる。骨が砕ける嫌な音を響かせて、フィリアの身体はぐにゃりと地面に崩れ落ちた。



「はぁ…はぁ…」
「おいフレイヤ、大丈夫か。」
「うん、ありがと兄ちゃん…それにしてもこいつ、手間取らせやがって……ッ!!」

昏倒したフィリアに向けて、フレイヤは容赦なく飛翔剣を振りかざした。

「…やめておけ。」
「何で止めるのさッ!?」
「シッ……騒ぐな、足音がする……恐らく…2人、か……?」」
「えっ、何でこんなとこに……まさかこいつの仲間ッ!?」

フレイヤは憎々しげにうつ伏せに倒れたフィリアを睨み付けた。

「……いや、こいつの口ぶりからしても仲間がいるような様子には見えなかった。たまたま通りかかったか、もしくは……」

ここで言葉を止めたフレイは、一度フレイヤの方を見てから再び遠くの方へと目を向けた。

「……お前の騒ぎ声を聞き付けたか、どちらかだな。」
「あぐっ…ごめん兄ちゃん……」

すると、フレイヤは今までの攻撃的な様子と打って変わってしおらしげに落ち込み始めた。

「まぁいい…さっさとずらかるぜ。これ以上目立つのは御免だ、俺達にはやる事がある。」
「うん…『ルーサー』を倒した奴ら…探しに行くんだよねッ!!」
「…まぁ、倒したと言っても『アレ』だったら俺達でも…いずれにせよ、『お礼』はしないとならねぇからな。」

フレイは立ち上がり、服に付いた砂を叩き始めた。フレイヤがそれに倣うと、フレイはフレイヤの服に付いた砂も手で丁寧に落としていく。

「…さぁ、行こうぜ。」
「うんッ!!」

やがて、フレイとフレイヤはまだ黒く濁る西の空を目指して歩き始めた。その時、辛うじて意識を取り戻したフィリアの指が僅かに動いた事に、2人は気付かない。

「…待っ…て………行かな、い…で……」

フィリアはぼやけた視界の先に消え行く兄妹の方へ投げ出された手に精一杯の力を込める。しかし、全力虚しくその手は指先が僅かに動くばかりだった。

「お…兄、ちゃん………」

それが、薄れ行く意識の中で彼女が放った最後の言葉だった。彼女が力尽きると同時に、東の方から徐々に空が明るくなりはじめ、やがて新たな人影が訪れた。

「…ねぇお姉ちゃん、この人…死んでる?」
「滅多な事を言うもんじゃないわ、ちゃんと生きてるわよ………レスタ!!」

フィリアの元に真っ先に駆け寄ったその少年は、純真無垢な声色で隣の女性に問い掛ける。一方の女性は明朗快活な声でピシャリと問いを否定し、フィリアに《レスタ》を放った。しかし、フィリアは反応1つせず、死んだように動かない。

「息はあるみたいだけど……ここじゃ手当のしようが無いわね、一体誰がこんな酷い事したのかしら?」
「分かんないけど…う~ん、それっ!!よし、この子くらいならぼくでも担げるよお姉ちゃん!!」

少年はフィリアの身体を背負うと、白い歯を見せてにこりと微笑んだ。

「そうね、じゃあその子を運ぶのはあなたにお願いするわ!さぁ、私達も襲われたらたまらないし、早く帰りましょう!」

女性は晴れ渡るような澄んだ声で少年に答えると、来た道を戻って東の方へと歩き出し、少年もよたよたとそれに続いた。突如として現れ、フィリアを連れ去って行った謎の女性と少年。2人が進むその先では、僅かに差し込んだ陽の光が東の空を紅く染めていた……。