主席卒業生

 ごつごつとした岩場を爽やかな春風が吹き抜けていく。そんな春の陽気に包まれた名も無き岩場を、2人の姉妹賞金稼ぎが南へと下っていた。

「ねぇ、えくれあちゃん?そろそろ休憩してもいいんじゃないかなっ?」
「駄目です。まだ出発してから2時間と経っていません…嫌ならシャイニングに帰っても構わないのですよ?」
「うーっ!!わかったよ、ちゃんと付いてくよ~…って、置いてかないでーっ!!」

すたすたと苦もなく岩場を降りていくえくれあの後ろで、エーテルがぐちぐちと不満を垂れながら覚束ない足取りで付いていく。えくれあは口ばかり動いて足取りの重い姉に苛立ちを感じ、はじめはエーテルを無視してどんどん距離を離していった。しかし、後ろから聞こえる姉の泣き言が次第に涙声になっていくのを聞き、止む無く踵を返して姉の手を取りに戻る。やっとこさ起伏の少ない平地まで辿り着くと、先程まで潤んでいたエーテルの目は満面の笑みを作り出していた。

「ほんとにえくれあちゃんが居てくれてよかったよっ!!ありがとねっ!!」
「本当に姉さんはおめでたい人ですね………しっ!!」

えくれあは突然姉の口を人差し指で制して周囲を警戒する。エーテルはきょとんとしていたが、やがて自分達の目の前に現れたモノを認めると素っ頓狂な声を上げて背中の《ロングボウ》に手をかける。その時既にえくれあの右手には《ブロードソード・ノーブル》が握られていた。

「ふぇっ、エネミー…っ!?」
「そりゃあエネミーくらい出るでしょう。というか、この程度の雑魚相手に一々騒がないで下さい。」
「うぅ、だって~…。」

彼女達の前に現れたのは1体の《ウルフ》と1羽の《ウォンバット》、ハイリヒトゥーム全域の中でも最弱級のエネミー達だった。しばらくえくれあ達の様子を伺っていた2体のエネミーだったが、目の前の賞金稼ぎ達に動きがないことが分かると、一斉に2人に向かって迫ってきた。

「姉さん、補助を頼みます…!」
「う、うんっ!…猛き戦士の本能よ…目覚めよ、アグレス!!」
「はっ…!!」

エーテルは右手を振りかざし、えくれあに《アグレス》の補助魔法を放つ。えくれあはそのまま右手の愛剣を左に振り上げ、回転しながら右方に振り抜く。《ウルフ》と《ウォンバット》は急停止して飛び退り、彼女の放った《トルネードスラッシュ》を間一髪のところで躱した。

「(アグレス込みでこのスピード…私もそうですが、まだ姉さんの実力が足らなさすぎる…この程度の雑魚に手間取っている暇は…)」
「えくれあちゃんっ、もう1回行くよっ!…猛き戦士の本能よ…目覚めよ、アグレス!!」
「(それでも、姉さんも本気…という訳ですか…!)まだまだ…!!」

えくれあは姉の放った未熟な《アグレス》と確かな『覚悟』を受け取り、歯を食いしばって右手を後ろへ引き下げる。次の瞬間、トップスピードに乗った《ソニックインサイト》が炸裂し、前方で超音波を放とうと構えていた《ウォンバット》を捉える。

「キキキーッ!!」
「覚悟……!!」

直撃を受けて悲鳴を上げる《ウォンバット》。気迫を込めてえくれあが右腕を前に突き出すと、その小さな身体は真っ二つに引き裂かれて絶命した。

「やったねえくれあちゃんっ!」
「まだです、ウルフを止めて下さい!」
「えっ?」

エーテルが驚いて《ウルフ》を見ると、その獣は大きく息を吸い込み、何かを呼ぶかのように遠吠えを始めた。

「まずいですね…姉さん、奴の足止めを頼めますか?」
「いいけど、級に慌ててどうしたのっ?」
「お忘れですか、ウルフは群れを作ります。雑魚が湧いてくるだけならまだマシですが、最悪の場合……急いでください…!」

えくれあの剣幕に押され、エーテルは背中から矢を一本抜き取って《ロングボウ》を引き絞る。そして放たれた矢は真っ直ぐに《ウルフ》へと突き進み直撃…かと思われたが、矢は空気抵抗に負けて遥か前方に突き刺さった。

「あ、あれ…?」
「姉さん、あなたって人は……!!」

姉の痛恨のミスに頭を抱えそうになるえくれあ。しかし、その不発の一射によって《ウルフ》の気はえくれあからエーテルに一瞬逸らされる。その隙を、彼女は見逃さなかった。

「やるしかない…行きます……!!」

えくれあは《ソニックインサイト》で一瞬にして《ウルフ》へと肉薄し、そのままその右腕を切り落とす。《ウルフ》が痛みで悲鳴を上げながら怯んだその隙に、彼女はもう1本の《ブロードソード・ノーブル》を左手で抜き取る。そして両手の剣をそれぞれ振り上げると、十字を切るように時間差で振り抜いた。

「ガアアアアアアアアアッ!!!!」

えくれあの放った二刀流専用剣技《ツインロザリオ》によって、《ウルフ》の胴体を十字に引き裂かれ、その体は地面へと飛散し動かなくなった。その末路を見届けたえくれあは2本の剣を鞘に収め、顔に飛び散った返り血を左手で拭った。

「おおーっ!!今度こそやったね、えくれあちゃんっ!!」
「全く、いい気なものです…それより無駄話は後にして、さっさと峠を下り切ってしまいましょう。早くしないと追手が来ます。」
「う、うんっ、分かったよっ!!」



その後、エーテルが数度えくれあの手を借りる場面もありながら、2人はなんとか峠を下りきる事に成功した。険しい岩場が終わり、木々生い茂る森林地帯に入った頃には、木々の間から見える空は美しい茜色に染まっていた。

「それにしても、さっきのえくれあちゃんの技すごかったねーっ!確か卒業試合の時も使ってたっけ?」
「えぇ…まぁあの技は二刀流剣技の中では基本技に分類されるものですから、仮にも主席の座を預かった身としてはあれくらいは当然です。」
「そっかぁ~…でもさでもさっ?あんなに強い技なのになんで最初から使わなかったのっ?」
「…通常、片手直剣を扱う時は利き腕と反対の腕は盾を持つか素手である事が一般的です。盾は防御に役立ちますし、素手であれば身軽な分、回避にも移りやすいですからね。」
「ほうほう~。」
「一方、二刀流剣技の場合は片手でそれぞれ1本ずつの剣を持ちます。攻撃性能は高いですが、その分身体のバランスが相当高くなければ1本の時よりも軽快な回避は難しい…もちろん剣身で弾く技術もありますが、実戦で使ったことはないですし、ましてや姉さんを抱えた状態でリスクを負いたくはないので最初は一刀流で戦っていた訳です。」
「そっか、えくれあちゃんはわたしの為にたくさん考えてくれたんだねっ!!」
「…もうそれでいいです。しかし、あの程度の雑魚に苦戦するとは…やはり腑抜けたアカデミー生相手とは訳が違いますね。」
「ほんとに、えくれあちゃんが居てくれてよかったよーっ!!」
「おうお嬢ちゃん達、誰が雑魚だって言ったよ…?」
「誰って、さっきわたし達がやっつけたウルフとウォンバット…っきゃあああああああ!?」

エーテルは突然背後から聞こえた男の声に振り向くと恐怖に慄いて絶叫する。えくれあも驚いて振り返ると、そこには2mは超えようかという大柄の獣人が立っていた。

「さっきは俺の手下を随分可愛がってくれたようだなァ……!!」
「嘘っ、こいつまさか…!?」
「ワー…ウルフ……!!」

えくれあ達はゆっくりと後ずさりして目の前の大男《ワーウルフ》から距離を取りながら武器に手をかける。それぞれ武器を握りしめ、どう対応したものか思案し始めたその時、2人の背中が硬いものにぶつかる。振り向けば、そこには生い茂った大木の1本がそびえ立っていた。

「ケケケ…手下を可愛がってくれた分はたっぷりお返ししてやる…ただ殺されるだけで済むと思うなよクソ女共がァッ!!!」
「とっくに追いつかれて後を付けられていた、という訳ですか……!」
「ひゃっ…く、来るよ…!!」
「ちっ……姉さん、アグレスを頼みます!!」

えくれあは言うなり2本の《ブロードソード・ノーブル》を振り抜いて走り出す。エーテルは恐怖で震える手をかざして、えくれあに《アグレス》を放つ。

「た、猛き戦士の本能よ…目覚めよ、アグレス!!」
「(メルケレス先生に打ち勝った『コレ』なら…)覚悟…!!」

えくれあは決死の表情で《ワーウルフ》に飛びかかり、半身になって反動を付けてから踊るようなステップで矢継ぎ早に斬り込んだ。二刀流剣技《クイックロンド》の7連撃は、次々にワーウルフの身体に直撃していく。

「やった………っ!?」
「……どうしたお嬢ちゃん。」
「な……に………!?」
「そんな赤子のひっかきみたいな攻撃で……この俺、ワーウルフ様を殺せると思ってるのかよオオオオオオッ!!!!!!」
「あっ、があああああああああああああ!?」
「えくれあちゃんっ!!!!!!!!!!」

怒涛の7連撃技を見事に叩き込み勝利を確信したえくれあ。しかし、《ワーウルフ》は何事も無かったかのようにえくれあの小柄な身体を持ち上げ、近くの樹木へ叩き付けた。打ち付けられた樹木の方が折れる程の衝撃に、エーテルが悲鳴を上げる。

「うっ…かはっ……」
「まだまだこんなもんじゃ終わらねェ……終わらせねェ…猛き戦士の本能よ…目覚めよ、アグレス!!」
「そんなっ!?」

《ワーウルフ》は自らに《アグレス》を放ち、毛に覆われたその顔を狂気に歪ませて腰に括り付けた太い丸太を両手で握りしめた。

「クヒャヒャヒャヒャ…コロシテヤル…シネェ!!!!!!!」
「だめええええええええええええっ!!!!!!!!!」
「がああああああああああああああああああああ!!!!!!」

振り上げられた丸太を見て絶叫するエーテル。しかしその叫びも虚しく、丸太はえくれあの身体に叩き付けられ、血飛沫を上げるえくれあの身体からは骨が折れる不快な音が響く。

「あ…が……」
「オマエノアトダ…サキニ、アッチノオンナヲコロシテヤル……!!!」
「ひっ……」
「シネエエエエエ……シネエエエエエエエエエエ!!!!」
「あっ……ああ……」

狂気的に見開かれた目を真っ直ぐにエーテルに向けて突進する《ワーウルフ》。しかしエーテルは恐怖で戦意を喪失し、その場に力なく座り込んでしまう。放心状態で《ワーウルフ》を眺めているエーテルに、その強靭な牙と爪が迫る。

「テシタノカタキ……ウガアアアアア!!!!」
「いや…いやだよ……」
「シネエエエエエエ……ゴアァ!?」
「えっ…?」

《ワーウルフ》の攻撃は、エーテルには届かなかった。エーテルも、果ては《ワーウルフ》さえも状況が飲み込めずにきょろきょろと自分の身体を見回している。すると、自分の背中から腹部にかけて1本の剣が突き刺さっている事に気づく。エーテルは目の前の獣人の身体が邪魔で姿は見えなかったが、その攻撃の正体に直感で気付いた。

「えくれあ……ちゃん……!?」
「ナ……ナゼダ……ナゼソノカラダデウゴケル……!?」
「ふっ……このアグレスっていう呪文はね、会得は簡単な割に結構危険な魔法でしてね……交感神経を刺激して、けほっ…様々な身体強化を促すのですが……」

ここで言葉を一度切ったえくれあは、右腕に力を込めて《ワーウルフ》の背中から剣を引き抜く。

「被作用者の方でも意識的に興奮を促す訓練をすると…くはっ…骨が砕けようが肉が抉れようが、意識も飛ばないし痛みも感じないんですよ…!」
「でも、身体の損傷が消えたわけじゃ…っ!!」
「ソウダ…ソレニ、ソレハオレニシテモオナジコト……!!」
「ふっ…所詮は獣の脳、という訳ですね…。」
「ナニ…ナニヲ、イッテいるんだお前は…!?」
「所詮は知能が周りより高かっただけの獣の成り上がりが、少し空気中の魔力の影響を受けた程度で…訓練を受けた人間と同じ練度の魔法を……!!」

えくれあは語りながらも右腕を後ろに引き、《ソニックインサイト》で《ワーウルフ》目掛けて再び特攻を仕掛けた。

「…扱えるわけがないんですよ。魔法は人間の叡智の結晶です、もう気付いているんでしょう?あなたのアグレスは…もうとっくに解けています。」
「ぐぉ…この女、さっきより剣撃の踏み込みが深く…!?」
「ぬるま湯暮らしが長かったもので忘れていましたよ…ここは殺さなきゃ殺される、剣と魔法の世界だってことを……!!」

えくれあは右手の剣を深々と突き刺したまま、左足を半歩後ろに引いた。刹那、黒き少女の舞が獣人の肉体を切り裂いた。

「光栄に思って下さい…クイックロンド、私が独自に開発した剣舞…2回目を見たのはあなたが初めてです…主席卒業生の意地、お見せしましょう……!!」
「なっ…バカな、学生上がりのガキに……この俺が……!?」
「…これで、終わりです。」

えくれあの放った《クイックロンド》、その7撃目は《ワーウルフ》の喉を断ち切った。手下の復讐に燃えた獣人は、断末魔を上げることすら許されず、奥深い森の中に散った。

「かはっ……。」
「えくれあちゃんっ!!!」

えくれあは《ワーウルフ》の死を見届けて剣を鞘に収めると同時に、自身もまた《アグレス》の効果を失い膝から地面へ倒れ伏した。

「えくれあちゃん、今助けるからっ!……癒しの風よ、ここにそよげ…リェチーチ!!」
「うっ……。」

エーテルの放った回復魔法《リェチーチ》はえくれあに確かに作用した。しかしその効果は弱く、僅かなかすり傷を癒やす程度だった。

「お願い…えくれあちゃんを……助けてよっ……!!」
「姉さん……だめ……」

エーテルは何度も何度も《リェチーチ》を唱えて祈る。しかし、その度に僅かな傷が癒えるばかりで砕けた骨も、流れ出る鮮血も回復する兆しを見えない。

「癒しの風よ、ここにそよげ…リェチー……チ……」

何度目かの詠唱で魔力の限界を突破し、力尽きたように倒れるエーテル。2人の姉妹はアシュヴィツアル地方の森の奥深くで倒れ伏した。それからしばらく経ち、空高くから月光が照らし出した頃。えくれあとエーテルが倒れたその場所へ近付く3つの人影があった。それらは敵か、或いは味方か。そして、彼女達の旅は早くも終わりを告げるのか、それとも………。