魔族の蠢き

ハイリヒトゥームの北東部に位置するエールアデ地方。その首都『フェルラド』にえくれあ達3人が辿り着いたのは、彼女らがヴァスクイル地方を脱出してほぼ丸1日経過して頃だった。

「うぅ~…おてんと様が高いよ~…暑い疲れた~…」
「…もう少し頑張ってください姉さん。フェデルタさん、この辺りですか?」
「えぇ。ほら、見てください。あの正面に見える大きな建物がそうですよ。」

えくれあは暑さと疲労でぐったりするエーテルをよそに、フェデルタが指差す方へ顔を上げる。そこには見たことも無いような大きな建造物がそびえ立っていた。

「これが……」
「はい、フェルラド自治区が管理する大図書館です。流石は学問の街と呼ばれるだけのことはありますね。」
「ねーご飯は…?ご本じゃお腹はいっぱいにならないよ~…?」

エーテルの身も蓋も無い発言にえくれあがうんざりすると、隣を歩くフェデルタが微笑んだ。

「大丈夫ですよ、エーテルさん。図書館の中には売店や飲食スペースもありますから。中に入ったら最初に食事を摂りましょう。」
「ほんとにっ!?ご飯食べられるのっ!?」
「急に元気になりましたね……まぁいつまでもだらだらとされるよりはマシですが。」

フェデルタの話に表情の輝きを一気に取り戻したエーテルが、それまでとは見違えるような足取りの軽さで大図書館へと駆け出していく。それを見た2人も顔を見合わせながら、エーテルの後を追っていくのだった。



「おっいし~~~~っ!!!」
「ふふ、良かったですね。」
「図書館の中とは思えない雰囲気ですね…。」

大図書館に入った3人は、1階の飲食スペースで1日ぶりの食事にありついていた。

「何でも、図書館を身近に感じて利用してもらうために飲食スペースや子どもの為のプレイルームを用意したそうですよ。」
「そうなのですか…。」
「ねぇえくれあちゃんっ!!おかわりしても平気かなっ!!」
「……お好きにしてください…。」
「いやったーーーっ!!!」

そう言うとエーテルはそそくさと食券売り場へと走っていく。すると、えくれあ達の隣の食卓から話し声が不意に耳に入ってきた。

「婆さんや、知ってるかい。隣のヴァスクイル地方の話。」
「えぇ、アカデミーが魔族と手を組んだから、エールアデの正規部隊が攻撃した話でしょう。」

えくれあはむせ返りそうになるのを何とか押さえて、さらに耳を澄ませた。

「それがな、婆さん。ヴァスクイルの連中は魔族に裏切られた挙句まんまと逃げられたそうじゃよ。」
「そうなんですか?もしエールアデの方へ流れてきたら怖いですねぇ…。」
「全くじゃ…魔族なんて大昔に途絶えた連中とみすみす手を組むなど愚かなことをした挙句、エールアデに宣戦布告などと……」

隣の卓の話が終わると、えくれあとフェデルタは顔を見合わせた。

「どういう事です……?」
「分かりませんが…魔族が今回の紛争を手引きした、という可能性はありますね。」
「しかし、なぜそんな事を…?」
「それは僕にも…人間達を混乱させて支配者となるつもり…まぁ、これも可能性の1つという域を出ませんが。」

えくれあが腕組みをして考え込んでいると、食事を持ったエーテルが食卓に戻ってきた。

「あれっ?難しい顔してどしたの2人共っ?」
「……はぁ…」
「は、はは…とにかく、エーテルさんもそれを早く食べて移動しましょう。僕達の目的は情報収集ですからね。」



それから数十分後、えくれあとエーテルは大図書館2階の資料室にこもっていた。

「う~ん、難しい本がいっぱいだねぇ~…」
「……あ、姉さんありましたよ。これを見てください。」
「ふぇ~…んんー、神の…い…き…んんん?」
「…『神の忌み子、魔族』です。あの、私が読み上げるから大丈夫ですよ。」
「えへへ…よろしくねえくれあちゃん…」

えくれあはその仰々しい表題の本を机の上に置き、固く重たい表紙をゆっくりとめくった。

「なんて書いてあるのっ?」
「どうやら魔族の歴史について記されているようですね。」
「歴史かぁ~、わたし苦手だなぁ~…」
「むしろ姉さんに得意な勉強があるとは初めて聞きましたよ……なるほど、魔族は人間が住むよりずっと前からハイリヒトゥームに居たらしいですね。」

えくれあは難解な文章を姉にも理解できるように噛み砕きながら読み進めていく。

「高い魔力と身体能力を持つ魔族は、元々このハイリヒトゥームを統べる存在だったようです。
「ほえ~、人間より先にいたんだ?」
「はい、その後人間がハイリヒトゥームに現れたようです。最初の内は、以外にも魔族と人間は手を取り合っていたそうですよ。」
「仲良しさんだったってことっ!?」
「そういう事になりますね。」

えくれあは更に本のページをめくっていく。

「しかし、ある時を境に次第に魔族と人間の間に溝が生まれ始めたようです。」
「ある時ってっ?」
「それは詳しくは書かれて居ませんね…どうやら随分大昔の事のようです。ともかく、それ以降魔族と人間は長きに渡って抗争状態が続いていたようです……ところが。」
「ところが…っ?」
「この魔族と人間の争いに終止符が打たれました。それが、17年前に起こった魔族と人間の大戦争……この結果人間はこのハイリヒトゥームの支配者となり、配下の魔物達を残して魔族達は姿を消した…こうして現在に至るわけですね。」
「そうなんだ~初めて知ったよ~っ!!」
「……ここまではアカデミーの授業でも扱う内容ですよ。魔族は姿を消したものの、いつ現れるとも限らないと危惧した人間たちによって、各地にアカデミーが設立され、優秀な賞金稼ぎ達を育成しているという事です。」

エーテルは全くもって初耳だ、という表情でえくれあの続きを待っている。

「…この本で知った真新しい情報といえば、どうやら人間側が魔族の王の家族を人質に取った…らしいということですね。」
「人質…でも魔族って強かったよねぇ、ほんとにできるのそんなことっ?」
「珍しく意見が一致しましたね。この本によると、人間側は魔王の妻を誘拐したそうですが…そんな事ができるならもっと直接的に魔族に打撃を与えることができたように思います。他にも魔王の娘が消えたという話もありますが…特に根拠もありませんし、眉唾物ですね。」

えくれあはため息を付くと、バタンと本を閉じた。

「あまり収穫はありませんね。」
「う~ん…あっ、フェーくんだっ!!」
「お待たせしました、お2人の方はいかがでしたか?」

エーテルが指を指した方から、フェデルタがゆっくりと歩み寄ってくる。

「こちらはダメです。既知の情報と、眉唾物の逸話しか見つかりませんでしたよ。」
「逸話…ですか。」
「なんかね、魔族の王様のお嫁さんが誘拐されたり子どもが居なくなっちゃったりしたんだってーっ!!」
「そう…ですか……お2人は、どう思いますか?」
「まずあり得ないかと。魔王の親族を誘拐できるなら他に直接的な有効打を持っているはずですし、娘の話に関しては行方不明の事だけで名前すら載っていないんです。これでは検証のしようもありません。」

えくれあがバッサリと切り捨てると、フェデルタは無表情のまま答えた。

「…なるほど。とりあえず、僕の方でも色々調べてみました。どうやら、ヴァスクイルとエールアデの主張が食い違っていることが明らかになり、近く代表同士での対談が行われるそうです。恐らく、魔族の出現もハイリヒトゥーム全土に知らされることになるでしょう。」
「そっか、魔族がいた事はあの場に居たわたし達以外はっきりわかってないんだよねっ?」
「えぇ、目撃者の数の割には情報統制もよく保った方だと思います…それと、えくれあさんの身体の異変についても少し調べてみたのですが……」

えくれあの眉がピクリと動いた。

「…残念なことに、こちらもめぼしい情報は何も。類似の症状も探ってみたのですが、あまり近しいものはありませんでした。」
「そう…ですか。調べていただいてありがとうございます…。」
「結局、図書館来たけど何もわからなかったね~…わたし達が魔族のスパイなんて、誰が言い出したんだろねっ?」

エーテルの発言に、再びえくれあの表情が険しくなる。

「確かに……魔族を名乗る女が現れて、私に異変が起こったあの戦闘の直後…タイミングとしては、出来すぎていましたね。しかし、あのビラで誰が得をするというのでしょうか……。」
「僕は最初はエールアデの仕業だと思っていました。えくれあさん達が魔族だったと仮定して、ヴァスクイルと手を組み続けるのは危険だと思って引き剥がした…」
「でも、どうやら私達の顔や名前などの情報はエールアデには知られていないようですし……だとするとヴァスクイル、突き詰めればシーケンスの何者か…」
「ガイエルくん…かな…?」
「いえ、彼はお2人を信じていた様子でしたし、あり得ないでしょう。いずれにせよ、まだ分からないことがたくさん……」

フェデルタが言いかけたその時、けたたましい警報音と人々の叫び声がこだました。

「なにっ!?どうしたのっ!?」
「警報…まさかヴァスクイルが…!?」
「とにかく外に行ってみましょう。」

3人は大図書館になだれ込んでくる人々を押し退けて外へ出る。すると、そこには見たこともないおぞましい光景が広がっていた。

「く、空間が……」
「わ、割れちゃってる…っ!?」

空高くで空間が裂け、その裂け目からは暗く淀んだ何かが広がっていた。あまりの光景に絶句するえくれあとエーテル。そして、状況はやがて更なる変化を見せた。

「えくれあさん、エーテルさん、あれを見てください!」
「割れ目から…魔物が!?」
「どうしよう、いっぱい来るよっ!?」

空間の裂け目からは無数の魔物達が飛び出し、『フェルラド』の街に降り立っていく。人々は恐怖に慄き逃げ惑っている。やがて、数体の魔物達がえくれあ達にも襲いかかった。

「グアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「ちっ…ターンスワロー…!!」
「それっ、パーシストアローっ!!」

2体の《リトルオーガ》を、えくれあの《ミスリルブレード》とエーテルの《ライトボウ》が一撃で屠った。

「出てくる魔物自体は大した強さではないようですね。」
「でも、数が多すぎるよ…っ!!」

フェデルタも《メタルハンドガン》から銃弾をばら撒き市民を襲撃しようと群がる《ウルフ》達を撃ち抜いていく。エーテルも次々と矢を放つが、魔物の数は減るどころかじわじわと増え続けていた。

「…行きましょう。」
「行くって…?」
「あの割れ目の中です。このままではジリ貧になってしまう、元を断ちましょう…!!」
「ええっ!?ええっと、フェーくんっ?」

えくれあの提案に驚きを隠せないエーテルは、すがる思いでフェデルタの方を向く。

「(このタイミングで動くということは…)」
「フェーくん…?」
「…行きましょう。えくれあさんの言うとおり、このままではキリがありません。」

そう言うと、フェデルタは弾幕を張って敵を退けながら空間の分け目の方へ走り出した。えくれあも武器を握ったまま、フェデルタの後を追う。

「だ、大丈夫かな……と、とにかく置いてかないでよーっ!!」

エーテルは慌てて《ライトボウ》を背中に納め、慌てて2人の後を走っていった。3人が割れ目の真下まで辿り着くと、割れ目は魔物の放出を止めていた。

「あれ…っ?」
「一体どういう………きゃあ!?」

次の瞬間、空間の裂け目は今までとは反対に周囲を力強く吸収し始めた。為す術もなく、3人は裂け目の中へと放り込まれていく。そして、3人を飲み込んだ裂け目はゆっくりと閉じ、『フェルラド』の街には無数の魔物と逃げ惑う人々だけが取り残されていた………。